このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
前回のメコンの旅は、①のフェリーで対岸に上陸後、北へ向かいましたが、今回は南へ向かい、③のフェリーで戻って来ました。 (撮影日は2009年7月10日です) |
左側の赤い部郡がプノンペン市街である。市街に沿って流れるのがトンレサップ川、半島のように延びた部分は陸地の先端、その東がメコン川である。二つの川は交わり、再び分かれる。東に流れるのがメコン川、西南に流れるのがバサック川である。 |
船室から船首、船着き場を見る。川の水量が増し、船着場も変更された。この場所は、乾季の時は、川岸であった。 |
操舵室。どこにでもいるようなオッサン。短い船旅だが、客の命と生活を預かっている。 |
船中から日本橋(日本−カンボジア友好橋)を見る。 |
中州の突端。水量が増えているので、突端の小島が小さくなった。手前の船は漁師の船である。 |
対岸船着場に接岸、上陸 |
対岸の船着き場。向こうで待っているのは客ではなく、オートバイタクシー(モトドップ)の運転手である。フェリーが着くと、乗りこんできて、客の奪い合いが始まる。 |
対岸の船着き場。左側に乗り合いバスが待っている。今日は客が少ないので、出番はないようだ。雨が道路の土をえぐっている。砂利や土嚢で補修工事がされている。 |
客待ちのモトドップ。今日は暇そうだ。向こうに赤い乗り合い自動車が止まっている。 |
赤茶けた道が続いている。車が通ると、ホコリが激しく舞い上がる。乾ききっている。 |
道ばたの小さな売店。ずいぶんホコリがひどいのだが、買う人がいるんだろうか。 |
小学校。休み時間なのか、子供たちが遊んでいる。「外国人」らしきものを見ると、「ハロー、ハロー」と呼ぶ。 |
突然小さな橋。橋の下はハスの畑、その向こうはマンゴーの畑。のどかな農村である。こういう風景を見ると,少年のころの、「夏の昼下がり」を思い出す。「四つ手網」や「ざる」を抱えて魚とり、捕虫網を振りまわして昆虫採集。夏の定番行事であった。 |
英語名は「キャノンボールツリー」。この木の実がキャノンボール(爆弾)に似ているからだろうか。 確かに、花火の玉のような形をしている。ソフトポールぐらいの大きさである。 |
キャノンボールの花。 |
マンゴーの畑に自転車。自転車はプノンペン生活にもっとも適した乗り物である。 どこにでも、適正な時間で行くことができる。もっといいことは、適当な時間で、確実に疲労するので、結果として、無理ができないことである。反対に悪い点は、大通りではかなり危険であること。したがって、極力大通りは避けることが肝要。 |
いきなり牛がいる。役牛なのか肉牛なのかわからないが、この国には「白い牛」が多い.。 日本で見慣れた「赤茶色の牛」はほとんど目にしない。 |
子供は、みなかわいい |
お寺のとなりに学校(たぶん小学校)があった。子供たちが学校の外で遊んでいた。 |
子供は無条件でかわいい。この二人は顔が似ているので、姉妹かもしれない。(上) もう一人登場。「かわいい」と言うと、「かわいい、かわいい」と何度もまねをして、覚えてしまった。(下) |
この少年も農道で偶然出会った子。昭和30年代の腕白少年もこんな感じだったか? |
マンゴーを取る娘さん。取って見せてくれと頼んだところ、実演してくれた。(上) うまく作ってある。竹を縦に裂いて袋状にする。二つ切り取って、マンゴーが入る穴を開ける。 マンゴーを袋の中に入れて、軽くまわすと、マンゴーが袋に収まるという仕組みである。(下) |
帰りのフェリーは地図の③の航路である。つまり、①の到着点から、③の出発点まで自転車で走ったわけである。 |
帰りのフェリー |
フェリーが到着したところ。客はあまり多くなかった。(上) フェリーを横から見たところ。(下) |
フェリーの待合所。若者が二人、ハンモックに昼寝をしていた。 のどかな田舎の昼下がり。(上) フェリーが出発。右手にはプノンペン市が見える。 対岸はプノンペン市内。右の大きなビルは「ナーガワールド」である。(下) |
メコン川の中ほど。このあたりの川幅は約2キロ。さすがに広い。(上) 市内側に到着。ここから国道1号線は間近である。(下) |
お客や車を乗せて、また向こう側に出発。(上) 国道1号線。ベトナムに向かう重要幹線である。(下) |
国道1号線、道路標識(上)。 バサック川にかかる大橋。かつては、橋が1本だったが、最近、2本目の橋が完成し、上下線分離が実現した。(下) |
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