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メコンの旅    PART 4















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 今回のメコンの旅は、プノンペン市内でメコン川に合流する「トンレサップ川」です。この川にも多くのフェリーが活躍しています。
 また、今回はトンレサップ川の西側をほぼ平行に走る「鉄道」も体験しました。
 撮影日は」2009年7月25日です



 今回のメコンの旅は、川と鉄道の旅です。鉄道と言っても、いわゆる汽車が走っているわけではありません。現在、カンボジアの鉄道は残念ながら休眠状態です。
 ガイドブックなどにも一部紹介がされているようですが、トロッコような乗り物、地元では「バンブー・トレイン」などと呼ばれています。台車に竹製の床板を敷いただけの単純なものです。時速は10キロ〜15キロ程度。「ガタンゴトン、ガタンゴトン」と軽快な音を立てて走ります。のどかなことこの上なしです。プノンペンの近くにも走っているという情報を聞き、矢も楯もたまらず、出かけた次第です。

 場所は上の地図の③「Kran Lvea」から、④の「Romeas」まで、約10キロの間です。所要時間約1時間。単線なので、途中で対向列車とすれ違う必要があります。すれ違いにかかる時間もあるので、実際にはもっとかかっているかもしれません。

 今回はカンボジアの青年のオートバイで全行程を走りました。プノンペンを午前8時半に出発、上記地図の①から⑥、そして再び②①を通ってプノンペンに戻りました。プノンペンに着いたのは夕方の5時過ぎでした。非常にエキサイティングな旅でありました。
 





                           

Preaek Phnonの町で(地図の①)


 私達はプノンペンから国道5号線に入ります。国道5号線はバッタンバンに向かう国道です。ここは「Preaek Phnon 」という町です。(地図の①です)。現在、トンレサップ川を越える橋の工事が行われています。
 
  
 工事中の橋の下です。このあたりにはフェリーはありません。



 Preaek Phnon の町です。大八車とオートバイの世界です。左側に横棒を張った車が見えますが、これは乗り合いのバスです。乗り合いリヤカーと言った方がいいかもしれません。この町が終点のようです。
 
 乗り合いリヤカーが続いています。これは所謂「下り」のリヤカーです。この町はプノンペンまで10キロぐらいの地点ですが、ここがリヤカーの終点で、ここからプノンペン市内には、この乗り合いリヤカーは入れないようです。走っているのを見ませんでした。この周辺の人々は、たぶん、この町で日常の用を足しているものと思われます。したがって、プノンペンに行く事は、日常的にはないのでしょう。




                            

   
Kaoh Chenの町へ、フェリーに乗って(地図の②)


 向かい側の町「Kaoh Chen」に向かって、新しく橋が作られています。完成は間もないようです。このあたりの川幅は、眼見当で200〜300メートルぐらいでしょうか。


Kaoh Chenの町からフェリーが到着したところです。乗客がこちらに向かっています。超満員!


 フェリーの中の風景。乗客たちはみな地元の住民でしょう。生活物資、商売の道具を運んでいます。フェリーの中には、飲み物、お菓子、鶏肉の焼いたものなどを売っているおばちゃんがいます。たくましいカンボジアのおばちゃんたち!


 橋梁工事を請け負っている企業の大きな看板。中国企業と思われます。(上海建工と書いてるのが見える)橋が完成したら、このフェリーは閉鎖になるのでしょうか。自分で移動手段を持たない人は、橋よりフェリーの方が便利がもしれません。


 対岸のKaoh Chenの町に到着。整然と順番に降りています。特に慌てる必要もないので、みなさんのんびりであります。




                            

          農村の風景


  地図の②から③に向かう途中の農村の風景です。②から北上して10キロの地点に「Ou Ruessei」とい」町があります。そこを左折して、国道138号線に入ります。未舗装の赤茶色の道路です。田んぼと畑が続く田舎の道であります。
 国道5号線、たぶん「Preaek Phnon」(地図の①)に向かう乗り合いリヤカーです。みなさんなにをしに行くんでしょうか。楽しい用事があるような感じがします。ちょっと、スピードが出すぎてました。トラックや車が時々通りますから、安全運転で願います。
 

 国道138号線。このような赤茶けた道が延々と続きます。田植えの時期で、農家の人々がみなで田植えをしています。ココナッツの木がたくさん見えますが、これがなければ、日本の田園風景となんら変わりはありません。
 
 田植えの風景。日本では今は機械で苗を植えていますが、かつては、皆こうして手で一本一本苗も植えていました。日本では、綱をまっすぐに張って、人が横一線に並んで、一斉に植えていたように思います。そんな記憶がよみがえります。










 
      バンブー・トレインに乗って(地図の③から④)


 Krang Lvea駅の駅舎(地図③)。今は骨組しか残っていませんが、屋根の角の装飾などを見ると、往時の駅のたたずまいがしのばれる。この駅がこの地域の「バンブー・トレイン」の始発駅です。
 駅舎の下の食堂。土地の皆さんが、麺や揚げ物を食べていました。
  「バンブー・トレイン」に乗りたいことを食堂にいた人に告げると、畑の中から、男の人が出てきて、台車を組み立て始めました。二本の車輪をレールに乗せ、その上に竹製の台を載せます。最後にエンジンを搭載し、ゴムのベルトをつないで完成。実に単純な仕組みであります。手前の少年は終点まで一緒に乗っていきましたが、身内の子なのか、近所の子なのか、分かりません。なんとなく子供が出てきて、なんとなく一緒に乗っていってしまうというような、仕切りのない世界はいいですねえ。
  
  線路は畑のなかを進んでいきます。
  対向の車が来たので、すれ違いをしなければ進めません。
 対向車とのすれ違い。相手の方が、後戻りをしました。すれ違うためには、ある程度の広いスペースが必要です。写真の場所では、狭いので、すれ違うことができません。それで、対向車が戻り始めました。エンジンをかければいいのにと思いましたが、彼は押して行きました。たぶん、燃料がもったいないからなのでしょう。
  
 広い場所に出ました。竹の荷台を持ちあげて、車輪から取り外します。そして、車輪もレールからおろします。対向車が移動して、すれ違います。そして、また、車を組み立て直します。

 最後にみんなで台車を車輪に載せます。なぜか、子供も手伝っています。この作業のために来たのかもしれません。
 エンジンとベルト。極めて単純な組み合わせです(上)。こんなふうに材木や大袋(肥料?食料?)などを運びます。こっちの方が本業だと思ったほうがいいでしょう。給水塔が見えますが、これはRomeas駅のものであります。バンブートレインは、Romeas駅手前のこの地点が終点です。






       終点、Romeas駅に到着(地図の④)


 終点Romeas駅の駅舎。昔はたぶん立派な駅だったのでしょう。中央の手すりの模様もなかなか洒落ています(上)。
 線路側の様子。扉がしまっていますが、ここが出札口だったかもしれません。中国語の「対連」が見えます。
 中華系の人が多いのかもしれません。
 
 
 駅のホームの跡。子供たちがバレーボールに興じています。
 蒸気機関車のための給水塔(上)。下は給水ポート(給水栓とも言います。)です。給水塔と給水ポートは地下で水道管で
つながっています。蛇口のような格好をした所に、ゴムのホースをくっつけて、蒸気機関車に給水する仕組みです。蒸気機関車は
石炭も大切ですが、水も重要です。なにしろ、水を熱して蒸気をつくるわけですから、水をどこでどのように補給するかは、重要な
課題なのです。
 ポイント切り換え。錆ついていて、動きませんでした。


Kampong Chnangの町を歩く(地図⑤)


コンポン・チュナンの町の様子。建物は古いが、活気はあります。かつては、瀟洒な家並みだったに違いありません。
 ここはかつての劇場の跡です。看板には「揚州天臺」と書いてあります。揚州は中国揚子江(長江)の河辺の港町の名前であります。
 揚州の対岸が鎮江です。ここから、大運河が始まり、運河は北京まで繋がっています。
 華僑の先人たちは、カンポン・チュナンを揚州に見立てて、この劇場に「揚州」という名前を付けたのでしょう。
 揚州はいまでこそ田舎の町になってしまいましたが、唐・宋時代は、揚子江下流地域第一の港市でした。漢詩にもよく登場します。
 有名な詩は「落魄江南載酒行、楚腰腸斷掌中輕、十年一覚揚州夢、占得靑楼薄倖名」という杜牧の詩であります。詩の題名は「遺懐」、岩波文庫「杜牧詩選」にあります。
 カンポン・チュナンの港の風景。船がたくさんもやってあります。子供が遊んでいます。落ちなければいいのですが......。
 川の上に家が立っています。いわゆる「水上生活者」であります(上)。今、大きなロープを運んできたところです(下)。
 水上生活者の集まり。遠くまで移動して行くんでしょうね。一説によると、水上生活者にはベトナム系の人々が多いと言われています。
 港での商売。まさに、「メコンの恵み」であります(上)。これは魚ではなく、カエルです(下)


Ta Ches の町にて(地図の⑥)


木製の壊れそうなフェリー船。対岸の村まで200メートルから300メートルぐらいです。対岸には町はなく、農地が広がっています。
 また、雨期になると川が増水して、この村は水没するそうです。もちろん、この船着き場の消えてしまいます。
 これは対岸の船着き場から「Ta Ches」の町を見ています。写真の右側がトンレサップ川の上流で、終点は「トンレサップ湖」です。
左側が下流でプノンペン市に至ります。プノンペン市内でメコン川とトンレサップ川は合流します。7月は雨期で、メコン川の大量の水が、プノンペン市側からトンレサップ川に流れ込むので、下流から上流へと水が流れるという奇妙な現象が起こります。
 浮草がいくつか見えます。これらの浮草は左から右へ流れています。トンレサップ湖は、自然の貯水池の役割を担っていて、川辺の水の氾濫を防いでいるのであります。
 「Ta Ches」の町の売店です。これらの売店も、やがて営業が出来なくなります。



カンボジアのモスク
(地図の①からプノンペン市内に行く通り・国道5号線)



 プノンペン市内及び近郊には、モスクが意外と数多くあります。中でも下のブルーモスクは美しいです。
 ブルーモスクの前の、モスリムの人々の食堂です。こういう風景はマレーシアを思い出させます。




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