このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
(1)Tutuban駅の資料 |
Tutuban駅は現在は立派な駅舎になっているが、以前は、やや北寄りにある「タユマン」駅がターミナルだったようだ。観光地図や一般の地図にもタユマン駅の記述がある。しかし、現在、「国鉄タユマン駅」は、今回の訪問で見る限りは存在しない。 |
Tutuban駅構内の入口に蒸気機関車が2輌展示されている。頭の方が塀に向いているので、見栄えが悪い。更に言えば、こんな端の方でなくて、構内の中央に堂々と置いてほしい。これでは、せっかくの機関車も泣いている、というものだ。昔の様子が分からないので、何とも言えないが、かつては左の柵はなかったのかもしれない。置き方が不自然である。 |
軽便鉄道の車両。Tutuban駅の待合室に展示してある。写真もたくさん飾られているのだが、説明がないので、この軽便鉄道がいつどこでどのように、使われていたのかは分からない。ギア変換、ブレーキのようなものが見えるのだが、エンジンがあったのか、それとも、人力で押していたのか不明。 |
人が押している写真が展示してある。しかし、この写真はカラー写真の上に、押している人が、どうみても、鉄道関係のスタッフには見えない。趣味、道楽、または旅行者がお楽しみで押しているように見える。 この鉄道は今回の訪問では、詳細はよくわからないということにする。 |
(2)Moriones通りを歩く |
Tutuban駅の西側にトンド地区が広がっている。ここはかつては中流程度の居住区だったそうだが、今では、その面影は見られない。はっきり言って、貧困地区である。 |
Tutuban駅の南に大きなショッピングモールがある。そこから西に伸びている大通りが「Moriones」通りである。途中、小さな道が何本か交差している。小道の入口にはこのような看板が立っている。この通りの発展のためにいくばくかの寄付をした人、団体の名前がある。この「Banzai」は、ある政治家の政治団体の名称だという。そこを歩いていた人に聞いてみると、Banzaiが日本語あることを知っていた。もちろん、意味も理解していた。 |
Iglesia Ni Cristo教会。フィリピンはキリスト教の信者が非常に多いと聞く。街のあちこちに大きな教会がある。 |
「Moriones」通りは、現在、再開発が進んでおり、あちこちで工事が行われている。これはメインストリートで、中央に歩行者用の散策緑地帯が計画されているようだ。 |
(3)Sto Nino Parish教会周辺 |
Sto Nino Parish教会周辺には、高等学校、病院、公園があり、この地域の中核部分になっているように見える。いろいろな屋台が出ており、信者たちを待っている。日本の寺や神社の周りに市が立ったり、屋台が集まってくるのと、構図は同じである。非常にアジア的な宗教施設の有りようと言えるかもしれない。(こういう言い方は、真面目に信じている人には叱られるかもしれない。) |
ここは公園である。右の下に見える青いものは、実は、滑り台である。この滑り台の下に、この時は、中学生の男の子とその母親と思しき二人が寝ていた。所帯の道具が散乱していたので、他にも家族がいると考えられる。道行く人は、ほとんど日常風景のように、見過ごしていく。 |
チェスに興ずる人々。マニラ市内と歩いていると、このように、公園、街の辻辻、お店の前などで、チェスに興ずる人々をよく見る。みなさん大変熱心であります。市井の人々が将棋に興ずる姿は、これまで、ソウル(韓国将棋)、バンコク(マークルック)、プノンペン(マークルック)、ベトナムのユエ(中国将棋)などで何度か見てきた。どこの国でも、将棋はやはり庶民の娯楽の王者だ。 日本でも、以前は、縁台将棋に興ずる人々がいたようだが、今では、めっきり少なくなったようだ。エアコンの普及で、外に出て夕涼みという習慣がなくなったのが大きな理由とも思われるが、根本的には昔ながらの地域共同体が崩壊したことによるものだろうと思う。 |
ゲートボールに興じる老人たち。ある日本人が教えてくれたものだと言っていた。健康のためにやっているんだ、とも言っていた。探せばあるのだろうが、ここ以外に、今回、ゲートボール場を見ることはなかった。 みなさん、長生きしてください。 |
(4)トンドモール |
正面が「トンドモール」である。入口は客とトライシクル(中央のサイドカーつきのオートバイ)でごった返している。荷物を持った客を奪いあうのである。モールの構内には、トライシクルは入ることが出来ない。柵で仕切られている。 ショッピングモールの100メートル先には、こういう住居がひしめいている。貧しさを強調するつもりはさらさらないが、この豊かさと貧困が極端に共存しているのがマニラである。こういう川岸にバラックを作って住まいする姿は、20数年前に、マレーシア在勤中にクアルンプールで多く見た。しかし、現在のクアラルンプールには、こういう住まいは最早ない。かつて、フィリピンはアセアン地域では、先進地域だった。ところが、20数年たっても、未だにこのような住まいがマニラには数多く存在する。どこかで、だれかが、何かを失敗しているのだ。 ここがモールの入口である。ここでトライシクルは入場を阻止される。警備員の頭上の笠に注目してもらいたい。この笠は、見たところ、チョッキに連動している。大変よいアイディアである。 (上)「Moriones」通りで見かけた木の祠のマリア像です。これもきわめてアジア的なあり様です。お供えやお賽銭は見えませんでした。なかなか興味深い祠であります。
(下)これは以前バンコク市ノーイ駅の前で見た木の祠の仏さまです。このような施設はタイでは数多く見ました。木の根方になにか神聖なものが宿ると言うのは、かなり広範囲に信仰されているようです。
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