このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

マレーシア5 ムルデカ広場



  バクテイ を食べてパワーを付けたところで、レイク・ガーデンに向かったところ、アジア特有のスコールに会い、30分以上の雨宿りを余儀なくされた。

 雨宿りをしたのはクアラ・ルンプール鉄道駅である。1910年に立てられた由緒ある建造物である。クアラ・ルンプールの交通の中心はここから1kmほど離れた KL Sentral駅 であり、こちらは閑散としている。
 いくら鉄道オタクの僕とはいえ、列車の運行を30分も見るのは辛い。いい加減飽きてきたところで、やっと小降りになった。

クアラ・ルンプール鉄道駅ホーム

 この時点でレイク・ガーデンは翌日に回すことにし、ムルデカ広場に向かった。ムルデカとは「独立」という意味で、1957年8月31日、ラーマン初代首相が独立を宣言した場所だ。
 そもそも1786年、イギリスがペナン島を支配したことから、イギリスの植民地統治が始まる。イギリスは支配を拡大し、マレー半島のみならず、1819年にはシンガポールも占領。当時はスズ鉱山とゴム農園の開発に力を注いだ。
 そして1941年12月8日午前1時30分、真珠湾攻撃の1時間50分前に日本軍はマレー半島東部のコタ・バルに上陸。正確には太平洋戦争はこのときに始まったといえる。日本軍はイギリス軍に連勝し、翌1942年1月12日にクアラ・ルンプールを占領。2月15日にはシンガポールも占領した。わずか2ヶ月である。日本軍の破竹の快進撃というよりも、イギリス軍が弱すぎたのかもしれない。
 1945年に日本が降伏すると、イギリスが再度統治しようとした。しかし、日本軍に簡単に敗れ去ったイギリスは、人民の支持を集めることは出来なかった。白人支配を打ち破ったことが、旧日本軍の数少ない成果の一つである。そして1957年、マラヤ連邦は独立した。

 このような歴史の舞台となったムルデカ広場だが、僕が訪れた日にはなぜか格闘技のリングが設営されていた。マレーシア人と外国人の試合であれば、マレーシア人は聖地での敗北は許されないであろう。彼にかかるプレッシャーは相当なものであると推測される。

ムルデカ広場

 リングの左に回りこんで撮った写真がこれだ。ビルの向こうにKLタワーが見える。

ムルデカ広場

 ムルデカ広場の隅には、世界一の高さを誇る100mの国旗掲揚党が立っており、国旗がはためいている。

世界一高い国旗掲揚塔

 広場の隣にあるスルタン・アブドゥル・サマド・ビルは裁判所として使用されている。
 国立歴史博物館には日本占領時代についての記述があった。日本軍の軍服や軍刀なども展示されていたが、日本語の表記は無く、全て英語である。

スルタン・アブドゥル・サマド・ビル国立歴史博物館




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