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タイ−9 第二次世界大戦博物館編
クウェー川鉄橋 を往復した後、第二次世界大戦博物館を見学した。昨年の マレーシア に引き続き、タイでも日本軍の爪痕を見ることとなった。
博物館の入口には、戦時中に泰緬鉄道を走っていた機関車が展示されている。
当時使われていた機関車 斜め前から
日本の国旗の上の案内
機関車の脇を通り過ぎると塔が立っている。この塔の左側が博物館だ。
塔 反対から
内部には第二次世界大戦で日本軍が使用していた武器や道具、当時の写真などが展示されていた。階段を下りていくと、白人捕虜に泰緬鉄道を作らせ、それを日本兵が監視しているところを再現した像がある。白人がふんどし一丁なのは、やや誇張しすぎなのではないだろうか。
白人捕虜と監視する日本兵
上の写真の橋は、クウェー川の方に向かって伸びている。これは最初に作った木橋だそうで、この後に鉄橋が作られた。
木橋
昨年のマレーシアでもそうだったが、ここの博物館を見学しながら考えた。
日本の戦争の目的は何だったのだろうか?
1904年から5年にかけて、日本は総力戦でロシア一国と戦った。戦況が有利になった時点でアメリカに講和の斡旋を要請した。この戦略は見事である。「坂の上の雲」の影響かもしれないが、明治の日本軍は目的がはっきりしていたと思う。
一方、昭和の日本軍の目的はよく分からない。東南アジア、中国、アメリカと同時に戦争をして、日本軍は何を獲得したかったのだろうか?東南アジアに進出したのは石油を確保するためという説がある。それでは、何のために満州国を建て、真珠湾を攻撃したのだろうか?石油とは関係が無いと思うのだが。
最近読んだ本では、日本軍の軍人が出世したかったからと書いてあった。軍人は、戦争が無ければ何の栄達もないが、戦争に勝てば褒章を受けることができる。地位が高い軍人であれば、爵位をもらえるかもしれない。そうすれば当面、孫の代くらいまでは安泰であろう。したがって、軍人が戦争を欲しており、そのために各地で勝手に戦線を拡大してしまったという説だが、これは一理あると感じた。ただ、軍の欲望だけが理由であれば、それに巻き込まれた日本の英霊や家族、各国の被害者は、浮かばれまい。
日本軍の爪痕は、タイやマレーシアにも残っている。日本の国土にはアメリカの基地が有り、中国と韓国はいまだに戦争責任を追及してくる。
当時暴走した軍人と、それを許した政府指導者の罪は大きい。そして、自衛隊という軍隊を憲法で明確に位置付けしていないまま放置している、現在の日本国民も怠慢である。
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