このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

タイ−11 ラーマ5世騎馬像編

 2007年9月26日(日)。この日の夜行便で日本に帰ることになっており、早いもので観光最終日だ。やはりタイには3泊+機中1泊の4泊5日では短すぎる。
 同期駐在員は激務(?)の疲れと前日の飲み過ぎのためか、この日は同行せずに18時にホテル待ち合わせとなった。僕は9時過ぎにチェックアウトし、荷物をホテルに預けた。

 24日(金)が アユタヤ 、25日(土)が カンチャナブリー だったので、この日はバンコクの寺を中心に観光する予定である。ホテルの最寄駅であるプロンポン駅から戦勝記念塔駅に向かった。 WIKIPEDIA によれば、戦勝記念塔は1940年に起こったインドシナ紛争でフランス軍と戦って戦没したタイ軍兵士を慰霊するために建てられたものである。ここにも日本軍の爪痕が残っているのかと思ったが、勘違いであった。

戦勝記念塔
アヌサーワリー・チャイ

 戦勝記念塔から西に15分ほど歩くと、ウィマーンメーク宮殿である。ここは1901年に建設され、ラーマ5世が実際に使用していた宮殿とのことで、総チーク製の宮殿である。管理がものすごく厳重であり、入口のコインロッカーに荷物を全部預ける。もちろんカメラは厳禁だ。そして、入口で靴も脱ぐ。下駄箱が有ったような気がする。
 内部の個人行動は禁じられており、タイ語によるツアーと英語によるツアーのどちらかに参加しなければならない。英語の方が理解できるので、英語ツアーに参加した。
 写真でご紹介できないのが残念なほど、内部は豪華である。ツアーは45分ほどだが、全然見飽きなかった。

 ツアーの途中で何かが破裂するような音がしたので外を見ると、雨が降り出していた。破裂音の正体は雷であった。東南アジア特有のスコールであり、30分もしたら止むのではないかと思っていたところ、ツアーが終わっても全然止まないどころか、強さはいっそう増している。傘無しではとても歩けない。
 やむを得ず、待合室で待機した。残念ながら待合室には食堂も無く、傘も売っていなかった。売っていたとしても、歩きたくないほどの叩きつけるような雨ではあったが。待つこと1時間。午後1時頃にやっと小降りになった。
 下の写真は、外から撮ったウィマーンメーク宮殿だ。

ウィマーンメーク宮殿

 下の写真は明るく見えるかもしれないが、実際は小雨混じりである。ウィマーンメーク宮殿から徒歩数分でアナンタ・サマーコム宮殿(旧国会議事堂)だ。内部も見学可能だが、時間が無かったので泣く泣く断念した。アナンタ・サマーコム宮殿は1907年に着工、1915年の完成である。

アナンタ・サマーコム宮殿

 アナンタ・サマーコム宮殿に背中を向けるようにして、ラーマ5世騎馬像が立っている。
 ラーマ5世(1853年〜1910年)は1868年に弱冠15歳で即位している。幼名をチュラロンコーンといい、映画「王様と私」の王子は彼がモデルである。奴隷制の廃止など、数々の近代化を進めたことで、国民の人気が高い。ラーマ5世が近代化を進めたため、タイは独立を守ることが出来たという説もある。

ラーマ5世像(左から)ラーマ5世(右から)

 
ラーマ5世とアナンタ・サマーコム宮殿

 スコールという予期せぬ足止めを食ったので、僕はここからタクシーに乗った。



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