このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

タイ−12 ワット・プラケオ編

  ラーマ5世騎馬像 からワット・プラケオまではタクシーで10分ほどだったと記憶している。
 
 ワット・プラケオは1782年の建立だ。 WIKIPEDIA によれば、ワット・プラケオは通称で、正式にはワット・シーラッタナーサーサダーラームというそうだ。
 ウィセートチャイスィー門から入って、下の写真のすぐ右に服装を検査する場所がある。僕は当日香港で買ったポロシャツを着ていたのだが、これは問題なしであった。タンクトップは上に羽織らねばならないということだから、袖の有無が大きな違いということか。

入口

 入口から歩を進めると、塔が3つ並んでいるのが見える。塔の建物の名称は、パンフレットと地球の歩き方では若干違いがあるが、ここではパンフレットを採用したい。
 左の写真は、1バーツ硬貨に描かれている景色だ。

手前から
プラ・スイー・ラッタナー・チェーディー
プラ・モンドップ
プラサート・プラテープ・ビドーン

 金色の仏塔プラ・スイー・ラッタナー・チェーディーはアユタヤの ワット・プラ・シー・サンペット を模して造られたものだそうだ。僕は金色に目を奪われてしまい、わずか2日前に見たワット・プラーシー・サンペットに似ているとは気付かなかった。内部には仏舎利(釈迦の遺骨)が安置されているとのこと。

プラ・スイー・ラッタナー・
チェーディー

 真中に建っているのが経堂プラ・モンドップである。この中には仏教の聖典「三蔵経」(トリピタカ)が収められているというが、内部は非公開だ。プラ・モンドップとプラサート・プラテープ・ビドーンの柱と壁面には複雑な模様が描かれている。一見の価値ありだ。

プラ・モンドップ

 プラサート・プラテープ・ビドーンはクメール様式であり、別名をロイヤル・パンテオンという。ラーマ1世から8世までの彫像が安置されているそうだが、こちらも非公開だ。脇に立っている金色の塔はプラ・スワンナ・チェディといい、悪魔と猿神が支えている。背中の反り具合がいい感じだ。

プラサート・プラテープ・ビドーン悪魔と猿神

 プラ・モンドップのすぐそばに、 アンコール・ワット の模型がある。アンコール・ワットを観光したラーマ4世が作らせたものだそうなので、由緒ある作品である。

アンコール・ワットの模型アンコール・ワット

 ワット・プラケオのメインはなんといってもエメラルド仏寺院である。本堂の外観を撮影し忘れたのはご愛嬌だ。もっとも、僕が観光した日は修理中だったようで、外側を緑色のネットで覆っていた。
 本堂に上がるには靴を脱がねばならない。小雨交じりの中歩いたので靴が濡れているだけでなく、靴を脱ぐ場所もドロドロだ。裸足で泥の上を歩くのは抵抗があったものの、やむを得ない。
 
 本堂の中には、美しいエメラルド色をした翡翠(ヒスイ)の仏像が安置されている。膝幅は48センチ、高さは66センチである。この仏像は数奇な運命をたどっている。
 1434年にチェンライで落雷があり、その内部から仏像が取り出された。1468年にチェンマイの都に安置される。その後、王族の後継者問題等により、仏像は1564年にラオスのビエンチャンに安置される。1778年にチャオプラヤー・チャックリー将軍がビエンチャンを占領して、タイに取り戻した。1782年に将軍はラーマ1世として即位してチャクリ朝が成立し、バンコクが都となった。1784年、ラーマ1世は1784年に現在の場所に安置された。

 本堂に入ってみると、仏像はかなり高いところに安置されていた。照明も当たっているので、誰でも拝むことができる。また、内側の壁には見事な壁画が描かれている。
 内部は仏教徒と観光客で混雑しているが、結構多くの人間が入ることが出来る。敬虔な仏教徒が床に額をつけてお祈りしている脇で、無宗教の僕はあぐらをかいた。座ったまま四方の壁を見上げると、見事な仏教画に囲まれているのが分かる。かなり長い時間、仏教の世界に浸った。
 
エメラルド仏寺院




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