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台湾33 選挙当日

 2007年の春から始まったプロジェクトが、11月末で完了した。とりたてて大きなミスもなく乗り切ることができたと自分では思っているものの、特に誰も褒めてくれないので、一人で打ち上げをすることを決意。1月の3連休に海外に行くことにした。
 一人暮らしが淋しいのか、 バンコク駐在員 からお誘いのメールが届くものの、タイは移動に一日かかるので、二泊三日では厳しい。JALのホームページでチェックしたところ、台北がWEB悟空で38,000円+燃料代で55,000円前後という安さであった。ソウルや中国よりも安い。この価格であればマイレージを使うのはもったいない、ということでクレジットカードでチケットを購入した。

 2008年1月12日(土)。ほぼ 一年ぶり の台湾だ。
 この日は、ちょうど台湾立法委員の選挙当日であった。陳水扁総統が率いる与党民主進歩党と馬英九が率いる野党国民党の対決である。台湾の選挙は、日本よりも盛り上がる。リムジンバスの窓から外を見ると、立候補者の看板やノボリが立っているのが見える。ひょっとしたら総統府前で集会が開かれているのではないか、と思って総統府に行くことにした。

総統府凱達格蘭大道(総統府前)
 

 拍子抜けするほど、午後6時頃の総統府前は閑散としていた。警備が厳重だったこともあるが、ほとんど観光客もいなかった。
 ここで、総統府の前に立っている水色の看板に注目していただきたい。

看板

 小さい文字で恐縮だが、手の中のボールには「UN for TAIWAN」と書かれている。つまり、これは台湾の国際連合加入を訴えるものだ。民主的な台湾が正当な国家として認められず、国際連合に加入も出来ない一方で、北朝鮮のような独裁国家が国際連合に加入している。国際社会の欺瞞の最たるものであろう。

 僕の思想は台湾独立だが、この日の選挙は、定数113のところを与党民進党27、野党国民党が81という結果であった。中国寄りの国民党を、台湾人は選択した。中国と台湾の交流は進んでも、統一されることは無いという現実的な判断であろうか。一党独裁の中国が民主主義の台湾を統一するのは許されない、というのが僕の意見だ。
 そもそも台湾が日本に割譲されたのは1895年( 下関条約 )だ。中華人民共和国の建国が1949年。したがって、中華人民共和国は一回も台湾を統治したことが無い。「一つの中国」というのは、中国風に言うと妄言である。
 台湾が正当な国家として承認され、国際連合に加入するのはいつの日か。

 閑散とした凱達格蘭大道を歩いて中正紀念堂に向かう。門まで来て、文字が変わっているのに気付いた。従来は右から「大中至正」と書かれていた。 台北ナビ によれば、蒋介石のモットーで、「行いを正しくする。」という意味だそうだ。
 今回行ってみたところ、左から「自由廣場」と書かれていた。大して面白くも無い言葉である。 WIKIPEDIA によれば、2007年12月7日に「大中至正」が取り外され、翌日に「自由廣場」が取り付けられたそうだ。

2008年1月12日2007年2月11日

 そして、中正紀念堂も閑散としていた。

中正紀念堂




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