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イタリア33 フォロ・ロマーノ編(その1)
フォロ・ロマーノは行く前から楽しみにしていた。ローマがローマ帝国の首都だったのは、紀元前753年4月21日の建国(伝承)から330年のコンスタンティノープル遷都まで、1000年以上の長きにわたる。フォロ・ロマーノはローマ市民の広場であり、政治経済の中心地であった。
ティベリーナ島 からヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂を過ぎてフォーリ・インペリアーリ通りを歩いていくと、フォロ・ロマーノである。そのまま直進すると、 コロッセオ だ。入口(北側)のそばからはフォロ・ロマーノの西側が見渡せる。入口からガイドブックに沿って、右側(西)に向かった。
入口そばからの全景 入口から右側(西)の方向
内部
入口から右にあるのがエミリアのバシリカだ。紀元前179年に建てられた公会堂である。裁判や商取引のために建てられたもので、エミリア一族により修復されたものとのこと。広さは100m×30mである。
その前にある柱が、ガイウスとルキウスの柱廊である。早逝したアウグストゥスの子供を悼むために建てられた。
奥: エミリアのバシリカ
柱: ガイウスとルキウスの柱廊
さらにまっすぐ西に進むと、クリア・ユリアという元老院の建物だ。元老院の歴史は古い。なんといっても紀元前753年のローマ建国時点まで遡る。初代の王ロムルスは、国政を王、元老院、市民集会の3つで進めていくことにしたのだった。
カエサルがクリア・ユリアの改築を命じたのが紀元前44年、完成したのはアウグストゥスになってからの紀元前29年である。カエサルは紀元前44年3月15日に暗殺されているので、死の直前の改築命令だったということになる。
カエサルは元老院会議に向かうところを暗殺されたのだが、当時ユリア・クリアはまだ建っていなかったので、暗殺された場所はここではない。ポンペイウス劇場といって、フォロ・ロマーノからは北西に位置する。
なお、クリア・ユリアは3世紀に火災に遭って再建され、7世紀から教会として使用され、20世紀になってから大規模修復されたようだ。
元老院は、共和制の時代は統治機関、帝政の時代は承認・諮問機関となり、1453年の東ローマ帝国滅亡まで存在した。
元老院(クリア・ユリア)
紀元前753年のローマ元老院の方が、現在の日本の国会よりもはるかに真剣かつ有意義な議論が交わされていたに違いない。
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