このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

イタリア39 ナヴォーナ広場編

  サンタンジェロ城 で雨宿りをしてから、歩いてナヴォーナ広場に向かった。このころには雨もすっかり上がって、日も差した。

 ナヴォーナ広場はローマ帝国時代の競技場跡だ。ドミティアヌスの競技場が建設されたのが西暦86年。15,000から20,000人を収容できたようだが、200,000人程度収容できたという チルコ・マッシモ よりは小さい。ドミティアヌス帝は81年に即位したが、96年に暗殺され、かつ記録抹殺刑に処されてしまう。競技場だけは名称を変えられずに済んだということになる。

 ナヴォーナ広場は南北に長い。馬車でも一周するのにそれなりに時間がかかる。下の写真は北から撮ったものだ。

北から見たナヴォーナ広場

 ナヴォーナ広場には北、中央、南の3か所に美しい噴水がある。北にあるのがネプチューンの噴水だ。 WIKIPEDIA によると、噴水が出来たのは1574年だが、ネプチューンの像は1878年に追加されたものとのこと。

ネプチューンの噴水

 広場中央にあるのが四大河の噴水だ。噴水の上にオベリスクが立っている。

四大河の噴水とオベリスク

 噴水の下には四体の銅像がある。これが大河を擬人化したものだそうだ。この像を制作したベルニーニは、サンピエトロ大聖堂の 天蓋 も制作した芸術家である。これは1651年の作品だ。

左: ガンジス、右: ナイル左: ラプラタ、右: ドナウ

 地球の歩き方によれば、ベルニーニと隣の教会を作成したボッロミーニの中が悪く、ナイルが頭に布をかぶせているのは「見るに堪えない教会だ」という意味で、ラプラタが腕を伸ばしているのが「教会が倒れてきたら困る」という意味と説明されている。

左: ナイル、右:ラプラタ


  WIKIPEDIA によると、この教会の最初にデザインされたのは1652年。ボッロミーニが担当し始めたのは1653年になってからで、1657年に辞職している。つまり銅像が先にできたとのことで、地球の歩き方は、単なる俗説ということのようだ。

サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会

 広場の南にあるのがムーア人の噴水である。1575年の作品だが、1673年にベルニーニが中央にあるムーア人の像を追加したとのこと。

ムーア人の噴水

 
南から見たナヴォーナ広場

 ちなみにナヴォーナ広場はイタリア語でPiazza Navonaという。ここで、お菓子のホームラン王のナボナと何か関係があるか調べてみた。亀屋万年堂の ホームページ を確認したところ、ナボナの商品紹介で次の記載があった。

「ふんわりとしたブッセです。昭和38年発売以来ベストセラーの秘密は、くちどけやさしいイタリアンメレンゲを使用したクリームとしっとりと焼き上げたソフトカステラの絶妙なハーモニー。 おいしさで語る、お菓子のホームラン王です。
チーズ、パイン、コーヒークリームに加えて、四季折々に合わせた限定の味もお楽しみいただけます。」

 ナボナがイタリアに関係あるのは分かったが、これだけでナヴォーナ広場と結び付けるのは難しいというもの。そのとき、URLに気付いた。

  http://www.navona.co.jp/lineup/navona.html

 NAVONAが2回も出て来る。ここまでくれば、お菓子のホームラン王ナボナが、ナヴォーナ広場から命名されたと考えても差し支えあるまい。



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