このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

イタリア38 サンタンジェロ城編

  サン・ピエトロ大聖堂 からコンチリアツィオーネ通りを東に向かって歩き、テヴェレ川まで来たところに建っているのが、サンタンジェロ城だ。サンピエトロ大聖堂と同じく、ローマ観光初日は中に入る時間がなく、三日目に出直した次第だ。サンタンジェロ城はイタリア語でCastel Sant’ Angelo、日本語では聖天使城という意味だ。

夜のサンタンジェロ城サンタンジェロ橋から見たサンタンジェロ城

 サンタンジェロ城は、西暦135年、五賢帝の3番目にあたるハドリアヌス帝が自らの廟として建設を指示したものである。ハドリアヌス帝は138年に逝去したが、廟の完成は139年であった。その後、カラカラ帝が217年に亡くなるまで、ローマ皇帝はここに埋葬された。
 西ローマ帝国滅亡後の537年、東ゴート王国の軍勢がローマを襲う。東ローマ帝国ユスティニアヌス帝が派遣した兵がこれを迎え撃つ。サンタンジェロ城に籠城した兵士たちは、向かってくるゴート族に対して、神々や馬の像を破壊し、これを敵兵の頭上に投げ落として防戦したという。芸術品の大量破壊であった。

青空の下のサンタンジェロ城

 城の内部はなだらかなスロープになっている。

内部

 サンタンジェロ城は屋上に出ることができる。590年のローマにペストが大流行した際、この城の上に剣で悪疫を打ち払う天使が現れると、間もなくペストが消えたとのこと。

屋上天使

 屋上からは、サン・ピエトロ大聖堂が見える。まさに威容である。

サン・ピエトロ大聖堂

 振り返って反対側(東南)には、ローマ市街が広がっている。下の写真中央の白い建物がヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、そのやや左に フォロ・ロマーノコロッセオ がある。

ローマ市街

 サンタンジェロ城の南側にはテヴェレ川が流れている。城の真下の橋は、サンタンジェロ橋だ。こちらの完成は、城より一足早い西暦134年。左下の写真では分かりにくいが、当ページの上の写真をご覧いただくと、橋の欄干に像が展示されている。これらはすべて天使とのこと。
 右下の写真はテヴェレ川の下流方面で、この先に ティベリーナ島 がある。

サンタンジェロ橋テヴェレ川

 このページに掲載した写真はすべて晴れているように見えるが、この写真を撮り終って建物内に入ったところ、急に雨が降り出した。この日も結局雨に降られ、しばし足止めを食らうこととなった。



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