TOYOHASHI SHIDEN
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

昭和初期の大手通り

大手通りを走った市電
 元福岡小学校長の三浦源八先生は、少年時代の思い

出を次のように綴ってくれた。

 『市電が東田まで開通したのが大正14年12月、翌15

年4月私は小学校に入学しました。父親が株主だった

ので毎年一年間通用の家族パスでどこへ行くにも市電

を利用しました。田尻の金比羅様の祭りに来る人たち

も、東田終点で降りて、遊廓の大通りを抜け小川に沿

った農道を三々五々歩いて行きました。岩屋へ花見に

行った消防団の人たちも、東海道の円六橋から農道を

歩いて遊廓で遊び、帰りは市電で帰るのが花見コース

でした。市電は単線でスピードはのろく、中学生時代

に自転車で市電を追い抜いて大いに得意になったもの

です。営門前を出た市電は大手通りへ曲がりました。

建物は変わったが、長屋病院、鳥居屋化粧品店、山安、

東京庵うどん屋など昔ながらのお店です。神明町で上

下線と柳生橋線が待ち合わせました。角がキゲン屋化

粧品店、三階建の丸物百貨店、へび屋、蝶春座等がな

つかしいのですが、今はなき建物です』


NEXT

伊奈彦定のイラストでつづる車両たち | 豊橋鉄道市内線の軌道変遷略図 | 伊奈 彦定

HOME


とよはし市電を愛する会
www.toyohasisiden.com

とよはし市電を愛する会
© 1997 Hikosada Ina and Amita Internet. All rights reserved.
Republication and redissemination is expressly prohibited without
the prior written consent of the author and artist, Hikosada Ina.
Copyright 2008-2009 Toyohashi Shiden wo Aisurukai , Kazuhiko NAKANO & Kaz Laboratory All Rights reserved.

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください