TOYOHASHI SHIDEN
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

戦前の広小路を行く市電

広小路通り
 広小路通りを走る1形は、当時のいきな兄ちゃんと

いう感じだったろう。広小路も市電が通り「豊橋銀座

通り」のイメージをいっそう強くしたにちがいない。

 広小路のシンボルは、昭和7年に開業した「丸物」

であった。豊橋初の百貨店である。それまでの町のメ

インストリートは、むしろ本町、札木であったが、丸

物の出現によりにぎわいは広小路へと移っていった。

道路をはさんでの「オーテ万年筆」の立体看板と対称

的な様相を呈し広小路を印象深い景観にしていた。

 レールのつぎ目で大きく揺れる市電の姿は、広小路

や神明町かいわいの風景とともに、今も私のまぶたに

浮んでくる。新川小学校3年生の頃であった。

 開通当時の運賃は、一区三銭、二区六銭、三区八銭

四区十銭と区分され、駅前-神明が三銭、東田まで

が十銭であった。一日あたり3,269人の輸送という記

録がある。車両は10両であった。その後、豊橋電気軌

道は昭和10年に豊橋循環自動車を買収し、昭和14年に

は名古屋鉄道の系列に入った。


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伊奈彦定のイラストでつづる車両たち | 豊橋鉄道市内線の軌道変遷略図 | 伊奈 彦定

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