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戦前の広小路を行く市電 |
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広小路通り |
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広小路通りを走る1形は、当時のいきな兄ちゃんと いう感じだったろう。広小路も市電が通り「豊橋銀座 通り」のイメージをいっそう強くしたにちがいない。 広小路のシンボルは、昭和7年に開業した「丸物」 であった。豊橋初の百貨店である。それまでの町のメ インストリートは、むしろ本町、札木であったが、丸 物の出現によりにぎわいは広小路へと移っていった。 道路をはさんでの「オーテ万年筆」の立体看板と対称 的な様相を呈し広小路を印象深い景観にしていた。 レールのつぎ目で大きく揺れる市電の姿は、広小路 や神明町かいわいの風景とともに、今も私のまぶたに 浮んでくる。新川小学校3年生の頃であった。 開通当時の運賃は、一区三銭、二区六銭、三区八銭 四区十銭と区分され、駅前-神明が三銭、東田まで が十銭であった。一日あたり3,269人の輸送という記 録がある。車両は10両であった。その後、豊橋電気軌 道は昭和10年に豊橋循環自動車を買収し、昭和14年に は名古屋鉄道の系列に入った。 |
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