TOYOHASHI SHIDEN
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営門前の軍馬と市電

軍都豊橋
 豊橋は車都であった。明治41年第15師団が設置され

た。高師方面はその中心地となった。車都としての発

展は町の様相を一変していった。師団の設置は道路の

整備を必要とした。吉田城跡を中心とする旧町構造は

当時の幹線道路開設計画により、遊廓に通ずる東田線、

高師の兵営地を結ぶ大手線、向山兵賞と駅を結ぶ新停

車場線を次々と完成し、今日の道路網の基礎を築いて

いった。大正14年軍縮により、15師団は解散した。同

年7月が市電開通の時であり、15師団の失業軍人の何

人かが運転手として採用されたとある。

 吉田城跡に兵舎をもつ郷土部隊、歩兵第18聯隊は市

電とのかかわりは深かった。東八町から旭町にかけて

は、軍人住宅が軒を連ねており市電利用も多かった。

昭和3年済南事件勃発で出動命令、9年4月満州事変

で出動、12年8月日華事変による動員等、たび重なる

18聯隊の出陣では、営門より公会堂、大手通り、広小

路、豊橋駅へと市電線路に沿って行進した。沿道は出

陣の兵を見送る人々と旗の波でうまった。


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伊奈彦定のイラストでつづる車両たち | 豊橋鉄道市内線の軌道変遷略図 | 伊奈 彦定

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