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終戦直後の豊橋駅 |
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豊橋空襲 |
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昭和20年4月、戦いは沖縄本島にまで迫り、いよい よアメリカ軍の本土上陸も時間の問題という危機感が 市民の胸の中をよぎっていた。たび重なる敵機の来襲 に、「警戒警報」や「空襲警報」が発令され、サイレ ンは毎日のように市中に鳴り響いた。灯火管制の闇の 中、せめてもの防空壕が心の安全地帯であった。 市政80年史の記録によると、昭和20年6月19日午後 11時40分ごろ突然東海軍管区司令部は「B29は渥美半 島の上空を北上中なり、空襲警報発令」の情報を流し た。その時既に柳生川運河方面と太陽航空 (現ホリデ ィ・イン近く) のところから火の手があがっていた。そ れから2時間余、約90機のB29は超低空による焼夷弾 攻撃を波状的に行った。市民は郊外へ郊外へと逃げ惑 った。明け方までに焼けるものはほとんど焼け落ち、 午前8時頃になっても余燐が残っていたが、誰も手を つけられない文字通りの焼野原となった。以後焼け落 ちた駅舎の三角屋根は、遠くからも見える戦災の原風 景として、今も心に残っている。 |
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