TOYOHASHI SHIDEN
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

米軍ジープと傷い軍人

戦災復興
 空襲で支柱は倒れ、架線は切れたものの軌道と10両

の車両、変電所が無事で、復旧作業は急ピッチで進め

られた。東田方面から復旧は直ちに行われ、3ケ月後

の昭和20年9月20日には、東田本線を全面復旧させた。

敗戦が同年8月15日なので、1ケ月後にはすでに市電

は走っていた。すばらしいことである。

 一方柳生橋線は復旧に入ったものの、すでに資材入

手困難で工事は思うようにはかどらず、およそ5ケ月

を要し、昭和21年2月13印こ復旧したとある。

焼野原にポツポツと立ち始めるバラックを背景に走

る市電は、食糧難、住宅難にあえぐ市民にどれほど生

きる勇気を与えたことか。車輪の響きは復興の鼓動と

なった。進駐軍、ジープ、買い出し、栄養失調、配給、

ヤミ、引き揚げ者、傷い軍人・・・・・・今では死語と化した

言葉が、当時の風景とともに浮び上ってくる。

 豊橋市戦災復興計画の第一歩は道路の整備から着手

された。八町通り幅員40m、大手通 (現259号線) 幅

員40mの確保は、斬新な計画だった。


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伊奈彦定のイラストでつづる車両たち | 豊橋鉄道市内線の軌道変遷略図 | 伊奈 彦定

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