このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

Travel Maker  その他の記事

我が街 秦野


このページでは秦野市にまつわるマニアックなネタを語っていきたいと思う。

私自身秦野に長く住んでますがまだまだ知らないことだらけです。

単なる観光地だとか名所の紹介は別途「神奈川県レポート」のほうに委ねるとして、このページはあくまでマニア向け。

まずは秦野市に実際にあったスキー場の紹介です!



ネタその①

パンテオンススキー場(またの名を、丹沢菩提峠スキー場)


このスキー場の存在を知ったとき驚愕した。秦野市にスキー場!?

滅多に雪が降らない秦野という盆地にスキー場を作るとはどういう了見なんだろうと本当にびっくりした。

たまたま「廃墟」系サイトを見ていて発見に至ったわけですが、確かに「菩提峠スキー場」でネット検索するといくつかネタが出てくる。どうやら本当のようだ・・・・

ネット上で見つけた画像をまずは見てほしい↓

丹沢関連のHPより転載
確かにスキー場っぽいが、ちょっと不自然なのは誰が見ても明らかだろう。
これは人口スキー場であり、距離も目測で数百メートルしかない。見たところリフトなどの設備も無いように見える。


大きな地図で見る
↑調査の結果、場所はここで間違いないようです。現在も樹木がなく、廃スキー場であることがうかがえる。
なお、この菩提峠スキー場は1960年代にオープンし、わずか1年〜2年で閉鎖したという。
秦野の気候からしてかなり無茶な事業だったように思える。

ここへ行くには大秦野駅から徒歩ではもちろん行けない。現在の神奈川県道70号線を通るほか行く術はないが、この県道は秦野清川線と呼ばれており、現在でも道幅が狭く、険道などと揶揄されている。
ちなみに県道昇格前は丹沢林道という名称であり、今のように舗装もされていなかったという。
県道の途中にある塩水隧道の竣工年度が昭和10年なので、少なくともこの路線時代は戦前からあるようです。


普通のスキー場レポートが見たい方は こちら をどうぞ。




ネタその②

表丹沢ロープウェイ(未成線)


これまた驚きのネタです。

表丹沢と言えば秦野駅・渋沢駅を玄関口とする丹沢山系の南側の登山口を指し、登山家にとってはおなじみの名称。

この表丹沢ロープウェイは小田急電鉄により計画された索道(ロープウェイのこと)で、現在の戸川公園の少し先にある「戸沢出会」の山麓駅から大倉尾根の花立(標高1370m)の山頂駅までの水平長1227m(高低差650m)を70人乗りの大型搬送器で結ぶという計画だった。


大きな地図で見る

↑ここがロープウェイ山麓駅の予定地



ちなみに小田急電鉄は1962年に箱根ロープウェイを開業している実績があり、丹沢が県立の自然公園から1965年に国定公園の格上げに伴って秦野の地にもロープウェイを!との計画だった。

小田急は1966年に建設事務所を設け、翌年にはアクセス用の林道の整備が無事に終わった。

ただ、バスの乗り入れにはまだ不十分であり、拡幅工事をしようにも地元の山小屋組合からの反対運動もありなかなか進捗しなかった時期もあった。

ただ、1960年代後半には陸運局の承認および県の承認が相次いで下り、小田急の果敢な地元民への折衝が実を結び、いよいよ計画はバス乗り入れ道路の認可待ちとなる。


しかし、1968年に岐阜県で発生した観光バスの大事故がもとでバス道路の安全基準が高まったため道路工事の認可は一向に下りなかった。

その後、1972年になってようやく道路改修工事の目途がたち、地元新聞が着工の予定を報じた直後、自然保護団体から反対の声があがり、最終的に県から着工の無期延期の要請があったため、小田急はしばらく工事を見合わせることになった。

さらにその後、建築資材の暴騰により1974年に事業計画自体を中止することになってしまった。


普段丹沢の山を登っていると「なんだこれは」と思うような遺構に出会ったりします。

それが今回の索道の遺構なのかはわかりませんが、事業前に中止になっているので遺構というのもおかしいかと思われます。

いろいろと調べていると丹沢にはなんと森林軌道があったという情報も掴みました。

場所は丹沢湖の西の端のあたりになります。こちらについてもそのうち探索に行きたいと思いますのでまた進捗がありましたらここで公開しようかと思います。

話は戻りますが、この表丹沢ロープウェイというのはもし現在稼働していたとしたら、秦野の観光収入はもっと増えていたようにも思います。

現に今は休日の朝にはヤビツ峠行のバスを待つ登山者で秦野駅はあふれかえり、丹沢を縦走していても東京から来ている人に多く会う気がします。

やはり都心から一番近い1000メートル級の山ということで丹沢山系は人気があるようです。


なお、今回の記事の出典元は昭和47年2月17日の神奈川新聞です。興味がある方は図書館へ行くと閲覧できます。

普通の登山ネタが見たい方は こちら へどうぞ。



ネタその③

湘南軌道廃線跡

明治39年から昭和12年までの間に秦野と二宮をつないでいた湘南軌道という路線があります。
その線路跡を探索して来ましたが、さすがに廃線から70年以上たっているので痕跡を探すことが難しい。
二宮の西友に車を止めて二宮駅まで歩き、帰りは二宮の図書館に寄って地域資料を読み漁り、軌道跡の線形を確認。
二宮町・中井町・秦野市のどの部分を辿っていたかを頭に叩き込んできました。
車で通り過ぎるだけでは分からないものも多く、実際に歩いて見てきました。



思いっきり地元ネタになってしまい申し訳ないが秦野のイトーヨーカドーの近くにガスタンクがある。
実は数十年前までここには橋がかかっており鉄道が通っていた。この軌跡を辿ることが今日の目標。
右の写真は河原町の交差点から本町四ツ角に向かうと左側に見える光景であるが、ここにその昔台町駅が存在した。

台町駅跡地には証拠が残されている


旧台町駅跡地から軌道跡を辿るとジャスコの前のドコモショップに出た。
ここが旧秦野駅であり、湘南軌道を使ってたばこの専売公社(現在はジャスコ)から東海道線へ葉タバコを出荷していたのだ。

30歳以上の秦野市民は覚えているかもしれませんが、実は小田急の秦野駅は私が子供の頃は「大秦野駅」でした。
実はこの大秦野駅という名称は湘南軌道で先に秦野駅という名称が使われていたからです。現在は小田急秦野駅になりましたがこんな理由があったんですね。


至ることろに当時を偲ぶ遺跡を発見することができました。本当に考古学の世界を味わったかのようでした(^^ゞ
昔は 「ハダノ」 ではなく 「ハタノ」 だったんです。



それにしても秦野に住む多くの人にこの話をしても「知らなかった」と言われることが多い。
歴史が古すぎますね(^^ゞ
でも廃線跡探索は考古学に似ているかもしれない。過去の歴史資料を考察し、探索と発見の繰り返しで事実確認をしていく点などは通じるものがあると思います。

通常の旅行記を見たい方は
こちら でもお楽しみいただけます。



「その他の記事」へ戻る

TOPへ戻る

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください