このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

Travel Maker

神奈川県道701号大山秦野線




県道と聞いて何を思い浮かべますか?

普段意識することが無いかたが多いと思いますが、県道とは都道府県が管理する地方の幹線道路を指します。

主に主要地や港湾・停車場(駅)・空港・観光地などを結ぶ重要路線が指定されることが多く、車で通行することを前提に整備される。


だがしかし、これから紹介する県道は車はおろか、バイクや自転車で踏破することは絶対にできない。





さあ、はじめようか


写真を間違えているわけではありません、これは県道です。神奈川県道701号線。

ご覧のとおり、舗装はおろか、雨裂が通っており、すこぶる歩きずらい。

交通量はほぼゼロに近いかと思われるが、同好の人たちがいるのか、痕跡が無いわけではなかった。


この道の歴史をひも解くとかなり興味深い事実が浮上してくる。

現在はこんな状態だがその歴史は驚くほど古かった。


県道指定は大正時代だが、道中にある石碑(道祖神)を詳しく見てみると安政六年との記述が見受けられる。

安政六年って1860年・・・ってことは江戸時代ですね。

昔、この地方では成人式=大山に登るという風習があったとどこかで見たことがあります。

県道701号線の元となっているのは「大山古道」という由緒ある街道がそれだったのである。


 

そう考えるとこの道のこうゆう光景は、遥か江戸の昔からなんら変わっていない光景なんじゃないかと思います。

かつてこの道を地域の信仰の山である大山に登るため、多くの人が行き交っていた。

そう、昔は大いに賑わっていたのだ。

記録によると昭和初期まではこの道を馬が荷物を引いていたとの記述もある。自動車ではないが確かに「軽車両」が通行していたという事実がある。


この「整備のされてなさ」は相当なものである、どのくらいの期間このままなんでしょう?そして草木の生い茂る夏にはここはどうなってるんでしょう?

普通、道路は 私道<里道<林道<村道・町道・市道<県道<国道<高速道路 の順に規格が上がるのが普通ですが、今回の県道の場合、林道にすら劣っている。





  

そんな大山古道も現在は秦野側には東京カントリーというゴルフ場が出来ていて雰囲気が損なわれてしまっている。

敷地を分かつ「道路境界石」を見つけたが、倒れてしまっているものもある。



そしてこの道が県道である確固たる証拠がこれ。
このシンボルマークは紛れもなく神奈川県を象徴する

   
県道制定は大正時代だが、このシンボルマークの制定は昭和23年。
なので、この境界石は1948年以降に設置されたものとなる。

あいかわらず道は劣悪なままですが、古道が林道と合流するあたりで、妙に真新しい看板を見つけた。

なんか新しすぎる!? 


http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1308040004/

↑調べてみたらこの通り、2013年8月の記事です。

どうやら地元の有志が地域振興の一環で立て看板を少しづつ建ててるんだとか。

なんだかこの道に多くの人が注目するようになっているのがちょっと嬉しい(^^)v


伊勢原側に入ると道がかなり悪くなっているところがあり、足を怪我しそうな道も結構あった。

長年の浸食で道が削られ、中央の細くなっているところにフカフカの落ち葉が積もっています。

また、大山古道は林道と何回か交差します。




伊勢原市に入ってからは大山に近い関係なのか、だいぶ人の手が入った痕跡が見られるようになってきた。
写真は禊の滝と言って、古くは大山に登る修行僧たちが「滝行」を行った場所。
派手さはないが、じっと見ているとなんだか妙に荘厳な雰囲気を醸し出している。

ちなみにこの滝までは一般の人も訪れることが多いようで、この後の道は随分と歩きやすくなっていた。

↑この石垣はいったいいつ積まれたものでしょう?コンクリート・モルタル・吹き付けのいづれの施工も見られない、単なる加工石の野積みです。

このことから、少なくともコンクリートの普及する昭和初期以前のものかと思われます。


しばらく進むと唐突に県道の起点に到達してしまいました。

古道に車が停まっていて滑稽な光景です。↑というか県道に路上駐車しているということなのでは!?

でも、右の写真みたいなことろが大山古道の入り口になっているのは大変に残念です。

これでは普通の人はまず入っていけない、民家の敷地かと思ってしまうのも無理はない。


一応入口に禊大滝の看板がありましたが特に駐車場とかもなく、ますます人が寄り付かない感じです。

ともあれこれで県道701号線を制覇できました。

ここの少し南には第二東名が通る予定であり、今は(2014年1月)埋蔵文化財の発掘調査が行われてました。




このあとはバスと電車で帰ろうかと思いましたが、なんとなく徒歩で家に帰ることにしました。

マイナーな山をいくつか超えて最終的に東海大前の家に戻ったときはもう暗くなってました。

何気に登ったり歩いたりで15キロくらいの距離だったかと思います。
さすがに疲れました・・・・

今回私が通ったルートはこちら↓ 左半分が秦野市で右半分が伊勢原市です。

見知らぬ道を通るのも結構面白いと思いました。

今はスマホがあるので、地図を見ながらマニアックな道を歩いたり、山の中で道なき道を進んでもGPSのおかげで現在の自分の位置も正確に分かります。

便利な世の中になりました(^_^;)




※古道・廃道・旧道・廃線跡巡りは私の趣味ですが、かなり危険を伴う場面もあります。

安易に山に入ったり立ち入り禁止の区間に入るのは自重しましょう。


TOPへ戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください