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小田急の風景    こちら へ移りました。

東北沢−世田谷代田間複々線化工事(上の方が最新)
4月25日未明,悪天候にも拘わらず予定通り下り線は山側の仮線へ移行しました。代々木上原3号踏切から.
東北沢駅仮下り線が敷設されている.
前の仮上り線とは少し位置が変わっている.
下北沢から東北沢方向を見る.
新仮下り線工事中.
2009年1月31日 下北沢−梅ヶ丘間仮上り線が海側に移設(撮影は2月13日)
世田谷代田駅手前世田谷代田駅下り仮ホーム
梅ヶ丘駅へ向かう仮下り線梅ヶ丘駅方向から間隔が開いた上下線
2008年11月30日 下り複線多摩川橋梁が開通した.
切断された旧下り線,登戸駅新宿寄り上り線分岐はまだ和泉多摩川駅直前に
各駅停車はポイントを渡る.緩行線側には登戸駅に十分なスペースがなく,先へ進めない.登戸駅3番線の切断された旧下り線
新しい橋の急行線を行くさがみ67号和泉多摩川駅先の切断された旧下り線
2008年8月30日,代々木上原駅の千代田線留置線が山側へ移った.
留置線が直線ではなく,屈曲して上原第三架道橋までに収まるようにしてある.
海側の旧留置線線路にストッパーが置いてある.
(2008/8/30)
2008年8月29日までの,代々木上原駅の千代田線海側留置線.工事関係者の姿がある.
下北沢〜東北沢間上り線が山側の仮線へ移行,2008年7月5日下北沢駅下りホームから撮影
東北沢2号踏切,手前が上り仮線東北沢4号踏切,手前が上り仮線
ちょっとずれますが,地下鉄乗り入れようのフェルメールブルーのMSEが,
検修中の白いVSEの代走を務めている.(6月26日11時10分小田急新宿駅)
2008年7月4日 スーパーはこね17号車内
厚木付近新線区間箱根湯本駅到着直後
東北沢駅ホームから工事中の仮設線を望む(5/31/’08)東北沢4号踏切から下北沢方面を望む(6/08/’08)
上記下北沢−東北沢間上り仮設線は7月4日終電後切替工事実施予定,
なお千代田線留置線の北側移設は8月29日終電後の予定
切り替わった上り線(東北沢2号踏切3-29-08)閉鎖された東北沢駅旧上り線(3-29-08)
2008年3月23日,切り替えを5日後に控えた線路出番を待つ東北沢駅上りホーム
代々木上原3号踏切から東北沢駅を見たところ.跨線橋から下北沢方向を見たところ.
2008年3月28日終電後に代々木上原−東北沢間の線路が山側の仮線に移される予定だ.
路盤を下げた上原第三架道橋山側ができた.架道橋の代々木上原寄りの路盤も下げられている.
東北沢駅から代々木上原寄りの道路トンネルは撤去された.
旧東北沢駅舎とホームは完全に撤去された.
東北沢駅の旧跨線橋が撤去された.下りホームの階段上半分と臨時改札口の跡だけ残っている.(3月25日)東北沢駅旧跨線橋が骨組みだけになっていた.その向こうに旧第1踏切代用の歩道橋がある.(3月17日)
2005年10月1日に急行線が取り払われた時から,東北沢駅は停車場ではなく停留場となった訳だが,実感がなかった.踏切が狭くなり,上下の電車が並んですれ違うようになって初めてこの駅は停留場になっていたのだと分かった.今後複々線化が進んでもやはり停留場だ.橋上の仮駅舎だけは工事内容を反映して幅が広い.
代々木上原3号踏切にかかる上り特急代々木上原3号踏切から,旧上り線上に工事車
新しい東北沢駅北口,この後が旧駅旧下り急行線の跡にできた上り仮線
9月24日枕木とレールが用意されている.11月25日0時42分少し遅れた終電,この線路最終
東北沢駅の仮橋上駅は11月25日使用開始予定で,下に見える枠の上に仮上り線が設置される(9/16撮影).
南口側から井の頭線西口に通じる歩道橋より.さらに西側の歩道橋から.
下北沢駅でも目に見える工事が始まった.井の頭線との交又の世田谷代田寄りに下りホームから上りホームへ跨ぐ構造物が建設されつつある.上りホ−ム新宿寄りにあったトイレットが撤去され,150m程西側世田谷代田寄りに移設された.
東北沢駅橋上仮駅舎現跨線橋から見る.東北沢駅橋上仮駅舎新宿寄り踏切から
仮線用の仮橋が作られ取り敢えず工事用車の出入りに使われている.
上り仮線になるのか下り仮線になるのかどちらでしょう.
世田谷代田駅新宿寄りの歩道橋から,
南口は橋上駅となりエレベーターもある.
世田谷代田駅山側の旧井の頭線連絡線跡
小さい北口は地平から入ることが出来る.
世田谷代田駅新宿寄り山側世田谷代田駅新宿寄り海側
代々木上原3号踏切東側,線路の脇に柵建設が進む東北沢駅仮駅舎(02/07/'06)
東北沢−代々木上原間の上り線が6月10日払暁海側へ移設された.
山側に地下線を作るスペースが出来たことになる.
千代田線の引き上げ線も海側へ移動.留置線に挟まれている分岐器(05/18/2006).
小田急の急行線跡へ千代田線の留置線を移し,山側の留置線を仮本線にする準備が進んでいる.
東北沢駅:上り線ホームに太いH鋼が打ち込まれている.(04/10/2006)
3月28日から下北沢駅改札脇に工事の説明の部屋ができました.それによると当たり前のことですが,深い方の急行線が先に開通します.代々木上原駅から直進する従来の緩行線が急行線となり,急行線の線形が良くなります.取り敢えず東北沢では緩行線予定地の上の仮ホームも含めた極めて幅広い島式ホームができます.下北沢では深い方のホームができます.そして世田谷代田では内側に回り込んだ急行線の外側に仮ホームができます.その真上に後から緩行線ができ島式ホームになるようです.
東北沢駅は入口も狭くなり,売店もなくなった.東北沢駅は上下線ホームとも狭くなった.(05/12/17)
VSE (05/11/27)JR東海371系 (05/11/27)
東北沢駅上りホーム新宿方が取り払われた.(05/11/03)下り急行線の代々木上原側も取り払われた.(05/10/28)
代々木上原駅手前まで上り急行線は取り払われている.下り急行線は錆びたまま残っている. (05/10/23)代々木上原1号踏切から代々木上原方を望む.10月1日に見た切断場所から手前が除去された.(05/10/23)
東北沢駅上りホームの代々木上原寄りの上屋が取り払われている.電車の停車位置も後退している.(05/10/23)下北沢寄りから東北沢駅構内を見る.急行線は完全に取り払われている.(05/10/24)
下の写真と比べると,線路の曲線が少し緩和されて,ホームとの隙間を補填してあるのが分かる.(05/10/13)東北沢駅構内:代々木上原寄りの線路がはがされている.(05/10/13)
10月4日:東北沢駅下り線旧急行線が切られていた.前と同じ位置のままで曲線は変わっていないから優等列車は徐行している.短い安全側線もはずされている.2005年10月1日小田原側で急行線は切られています.下り線側は従来の緩行線を優等列車は減速して進行.
2005年9月30日限りで開業以来87年続いた東北沢の追い越し線が撤去されます.最近は新幹線でこの形式の駅が多くなりましたが,此処が一番古かったのではないでしょうか.最後の日試運転列車の追い抜き風景が見られました.正式ダイヤでは2004年12月11日の改定以来東北沢の追い抜くはなくなっていました.たまにダイヤが乱れると追い抜くこともありましたが,最終日にこういう写真を撮れたことは幸運です.
下北沢:駅本体はまだ手つかず(2005/10/19)世田谷代田駅(2005/10/14)
世田谷代田駅上り方向,山側の代田二丁目連絡線の跡でも工事が行われている.世田谷代田駅下り方向,梅ヶ丘にかけて環七を潜るのは主に海側で工事が行われている.
梅ヶ丘駅:分岐器がホームの東端より内側にある.
当然出発信号も手前にある.
分岐器の位置の関係から本設ホームが使えない分を仮設ホームを延長して補っている.

東北沢,下北沢,世田谷代田各駅

代田二丁目(新代田)ー
世田谷中原(世田谷代田)間連絡線

 太平洋戦争末期,昭和20年5月25日井の頭線の永福町車庫が被災し,動ける電車がほとんどなくなって工兵隊の手で世田谷中原(現世田谷代田)−代田二丁目(現新代田)間に連絡線が作られた.昭和28年に撤去されたが,その跡が世田谷代田駅北側部分だけ残っている.そこを利用して無人の北口が設置されている.小田急複々線立体化工事で消えてしまうだろうと考えて記念に.
新代田側では線路右側の家が少し後退して空き地があります.向こうに下北沢の駅が見え,途中に自動車の通れない踏切があります.そこから新代田よりでしか,地形からは合流できないと思われます.そうすると建物後の空き地も代田二丁目側の痕跡かと思えます.連絡線があったと思われるところを歩いてみましたが,写真に示した駅近辺以外では何の痕跡も見付けることはできませんでした.小田急に1500,1550という帝都線型の電車が走っていたのを思い出します.
京濱急行湘南鐵道館蒲蒲短絡線跡 を見て 「国土地理院」のサイト で終戦直後に米空軍が撮影した航空写真を最近国土地理院が公開していることを知りました.当時の井の頭線代田二丁目(現新代田)駅から小田原(小田急)線世田谷中原(現世田谷代田)駅にかけて,赤い矢印で示した短絡線を見ることができます.

祖師谷大蔵駅旧跨線橋からの富士
小田急祖師谷大蔵駅旧跨線橋からの富士(1993年),今は線路は高架となっている.

多摩川橋から富士を見る
小田急旧多摩川鉄橋と富士(1993年),
今は上流側にできた少し高くなった新しい鉄橋の上を電車は走っている.
和泉多摩川の堤防から,橋梁が高くなった.(2005 & 2006)

小田急百合ヶ丘ー柿生間旧線
小田急線は駅間距離の長かった西生田ー柿生間に百合ヶ丘第一団地の入居開始に伴い1960年3月25日百合ヶ丘駅を開設した.西生田駅は1964年3月1日よみうりランド前駅と改称,同日東生田駅は生田駅に改称した.さらに多摩ニュータウンの開設を控え,百合ヶ丘ー柿生間のS状カーブを解消して標高のやや高い南側に路線を移し,新百合ヶ丘駅を新設して多摩線を分岐させることにした.新百合ヶ丘駅と多摩線小田急永山までは1974年6月1日に開業した.なお小田急多摩センター駅は1975年4月23日の開業である.この附近は住宅地の開発が盛んである.
国土地理院5万分の1東京西南部1955年応急修正の一部である.残念ながら柿生駅が地図の範囲に見えないが,西生田から西側4.5kmの間に駅がなく,人家もまばらである.登戸の先に南武線との連絡線が描かれている.
左の図は1967年10月10日発行,右の図は2002年7月1日発行の国土地理院25,000分の1地図「溝口」の一部であるが,右の図では新百合ヶ丘駅周辺が直線化しているのは見て取れる.上の図とは道路(津久井道)も変更されている.
小田原寄りの旧線との分岐部から多摩線高架橋下までの 500m くらいの旧線路敷内に作業用車用の側線が遺されている.①の地点から両側を見る.架線は張られていない.
さらに多摩線高架橋下から約 200m くらいの間は,放置自転車の収容所になっている.多摩線高架橋の広い径間が旧線跡であることを示している.②の地点から小田原側を見る.この反対側は約 300m 位は建築資材らしきものが草叢の中に積み重ねられている.そして道路があってその向こうは建物で埋まっていて,路盤の痕跡はない.
③の地点から新宿寄りを見る.分岐部の僅かな場所を残すだけで駅に近い部分は建物で埋まっていて旧線路敷きは分からなくなっている.建物の裏側に今ある道は狭く線路跡とは考えられない.
小田急線で最も規模の大きい6面6線の新百合ヶ丘駅ができて次の柿生駅の副本線が廃止された.その先の鶴川で朝混雑時上り線のみ各駅停車或いは準急が急行を待避している.
小田急の駅名の改訂はこの附近に集中している感がある.上記の他1927年4月1日開業時の稲田多摩川が1955年4月1日登戸多摩川に,3年後の1958年4月1日登戸となった.開業時の稲田登戸は1955年4月1日に向ヶ丘遊園となり,遊園地が閉園された現在も駅名は変わっていない.東生田→生田,西生田→読売ランド間まで4駅続けて改名,駅間距離が4.5kmあった西生田(現読売ランド前)ー柿生間に2駅続けて新設され,その間が路線変更により約300m短縮という訳である. 他は千駄ヶ谷新田→小田急本社前→南新宿,世田谷中原→世田谷代田.新原町田→町田.通信学校→相模大野,相模原→小田急相模原,座間 →士官学校前>→相武台前,新座間→座間遊園>→座間,河原口→厚木.相模厚木→本厚木.大根→東海大学前.六会→六会日大前などである.
廃止された山谷駅について:宮脇俊三さんの鉄道廃線跡を歩く4に原口隆行さんが描いて居られますが,南新宿駅の移転とは全く関係ないことです.新宿駅2層化の折り支障するため後退したので,山谷駅廃止とは時間的にも何の関係もありません.

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