このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

一茶ゆかりの地東京



千住宿

旧日光街道を歩くと、 千住本町公園 がある。

千住本町公園


千住宿 高札場 由来

 私たちの街千住が宿場となって栄えたのは、慶長2年(1597年)人馬引継駅として以来のことだといわれています。

 江戸時代の足立は、千住宿を中心に始まったといっても過言ではありません。

 特に寛永2年(1625年) 東照宮 建立によって、日光道中初宿として、また江戸4宿の1つとして繁栄し、約400年を経て今日に至っております。

 このような高札場は、明治の初期まで宿場の掟(きまり)などを掲示して、人々に周知してもらうため、千住宿の入口・出口の所に設置されていました。

千住の街並み景観を考える会

千住関屋には 建部巣兆 がいた。

 文化5年(1809年)6月14日、小林一茶は流山に行く途中で建部巣兆を訪れ、昼食。

 十四日、晴  熱田明神 の祭有、千住秋香庵中飯。小菅村水戸橋ふしん、舟渡し。新宿より高須村といふ所に堤有、去卯六月三日洪水に破れて、新堤によし簀引はりて餅など売有。足を休。

六月や草も時めくわらじ(ぢ)茶屋

泣堀通流山ニ入

『文化五年六月句日記』

 文化6年(1809年)正月23日、一茶は千住に行く。

廿三日 晴 千住行

『文化六年句日記』

 文化8年(1811年)11月28日、一茶は建部巣兆を訪ねて千住を訪れている。

廿八 晴 卯中刻千住行 房州ヨリ画タノミ来ル故也

『七番日記』(文化8年11月)

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