このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
与謝野晶子の歌碑
山梨市駅
韮崎
から山梨市へ。
山梨市駅前に与謝野寛・晶子の「鴛鴦の歌碑」があった。
、日下部駅にて
友の汽車われらの汽車と窓ならび 暮れたる山に言ふ別れかな
寛
いにしへの差出の磯を破らじと笛吹川の身を曲ぐるかな
晶子
鴛鴦の歌碑
近代短歌浪漫派の巨匠、
与謝野寛・晶子
夫妻が昭和8年山梨県
昇仙峡
に来遊の折り、山梨市の万力林や
差出の磯
を散策され、多くの作品を残されている。
差出の磯を詠まれた晶子の作は、古くからこの地に残されている『古今和歌集』の歌を意識された作として、本市の名勝の地に更なる新しい光があてられている。
日下部駅のホームで同行の友との別れをさりげなく詠んだ寛の作には「日下部驛にて」という詞書がある。
この地に長くなじんできた「日下部」という駅名には、ほのぼのとしたあたたかい郷愁のようなおもいが、いまだに残っている。
駅名変更によって消え去ろうとしているひとつの地名の声なき語り部として、これが末代まで語り継がれてゆくことに切なる願いをこめて、この地に与謝野寛・晶子の「鴛鴦の歌碑」を建設する。
平成13年4月吉日
山 梨 市
山梨市文化協会
明治36年(1903年)6月11日、中央本線 初鹿野駅(現、甲斐大和駅)〜甲府駅間開通と同時に日下部
(くさかべ)
駅として開業。
昭和37年(1962年)1月15日、山梨市駅に改称。
差出の磯
へ。
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