このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芥川龍之介ゆかりの地

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芥川龍之介生育の地〜両国3丁目22〜

JR総武線両国駅東口を出て京葉道路に向かう。


サンクスの前に「芥川龍之介生育の地」の案内がある。


 龍之介は明治25年3月1日、 京橋区入船町8丁目1 (現:中央区明石町)に生まれました。生後7ヶ月で母が病気となり、この地本所区小泉町15番地に住む伯父の芥川道章に引き取られ、やがて養嗣子として育てられました。

 芥川家は代々江戸城の御数寄屋衆(おすきやしゅう)を勤めた旧家でした。道章は俳句や盆栽に親しむとともに、南画をたしなみ、また一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を観る等、江戸趣味の濃い家庭でした。

 龍之介は当時回向院に隣接していた江東(えひがし)小学校(現: 両国小学校 )を卒業し、府立第三中学校(現: 両国高校 )に進学しました。幼い頃から文章を書くことが得意であり、また本を読むことも好きで、図書館によく通いました。

 明治8年(1875年)、江東小学校(現:両国小学校)創立。平成12年(2000年)が開校125周年。

 明治30年(1897年)、芥川龍之介は江東小学校の付属幼稚園に入る。

 明治35年(1902年)、府立第三中学校(現:両国高校)開校。

 明治38年(1905年)、龍之介、高等科2年を修了。東京府立第三中学校に入学。

 処女作の『大川の水』は江戸情緒が残るこの地で育ったことと深い係わりを示すものである。

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