このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
石田波郷
『江東歳時記』を歩く
亀戸普門院にて
墓の間に彼岸の猫のやつれけり
亀戸天神社
の東隣に普門院がある。
普門院
昭和32年(1957年)、石田波郷は普門院を訪れた。
亀戸天神社の通りは町をゆるがして、トロリーバス、トラック、タクシーの往来がはげしいが、ちょっと裏に入ると、普門院の墓地は春の彼岸らしく香煙がにおって心のしずまる思いがする。ここに
伊藤左千夫
の墓がある。
「“野菊の如き君なりき”の原作者ですね」
という人がいるかもしれないが、それだけでもこの墓を訪ねるよすがにはなろう。
左千夫は今の金糸堀精工舎のちかくで乳牛を飼っていたことがある。
「牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いに興る
年下の
正岡子規
を訪ねて開眼感激した左千夫の、子規への全人間的傾倒が、
茂吉
、
文明
を通じて、後年アララギが歌壇を圧する時の、はげしい結合力となるのである。
戦火を浴びた左千夫の墓は剥落もはなはだしいが、中村不折の六朝風の「伊藤左千夫之墓」の文字は、すでに実となった大八ツ手に囲まれながら、はっきり残っている。だれがささげたのか、楓、雪柳、菜の花、マーガレット、チューリップ等が墓前をはなやかに色どっていた。折から通りかかった住職が、
「二月に茅ケ崎に住んでいられた未亡人が八十四歳で亡くなられましてね、土屋さん、五味さんなどいらっしゃいましたよ」
と親しげに語って去った。
左千夫の墓
普門院に
左千夫の歌碑
がある。
牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る
石田波郷
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください