このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石田波郷



石田波郷記念館

北砂二丁目(砂町銀座入口)から砂町銀座を行く。


 ライトバンで焼き立てのメロンパンだけを売ってる店があって、人が並んでいる。

思わず、買ってしまった。

砂町銀座の中程で左の路地を入ると、江東区砂町文化センター。

江東区砂町文化センターの2階に 石田波郷記念館(HP) がある。

 石田波郷(1913−1969)は 水原秋桜子 に師事。『馬酔木(あしび)』同人。昭和12年(1937年)『鶴』を主宰。



吹起る秋風鶴を歩ましむ

 昭和21年(1946年)3月、石田波郷は江東区北砂町に居を構え、以後12年間江東区住み、「波郷の焦土俳句」と評された数々の句を詠んだ。

 平成12年(2000年)6月、遺族から数々の作品及び遺品等を寄贈され、12月に石田波郷記念館開設。波郷の生涯や俳句文学活動などを展示紹介している。



はこべらや焦土の色の雀ども

妙久寺 境内に句碑がある。



百方の焼けて年逝く小名木川



立春の米こぼれをり葛西橋

江戸川区の 平成庭園 に句碑がある。



今生は病む生なりき鳥頭

 「烏頭」は読めなかった。分からないことは訊いてみる。「とりかぶと」と読むのだそうだ。トリカブトと言っても花ではなく、根。トリカブトの根が有毒であることはよく知られているが、鎮痛剤・麻酔剤などに用いられたらしい。

 昭和23年(1948年)、波郷は国立療養所清瀬病院に入院、以後幾たびとなく入退院を繰り返す。昭和44年(1969年)11月21日、肺結核のため国立療養所東京病院で56歳の生涯を終えた。

砂町銀座で買ったメロンパンは大好評であった。

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