このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石田波郷


『江東歳時記』を歩く

江戸川の白秋碑

紫烟草舎春を惜しまむすべもなし

江戸川区の北の外れの北小岩8丁目に八幡神社がある。


八幡神社


八幡神社

 祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、相殿(あいどの)に倉稲魂尊(くらいねたまのみこと)をまつっています。創建は不詳ですが、元禄8年(1695年)の記録には神社の名がみられます。

 誉田別尊(ほんだわけのみこと)は応神天皇のこと。仁徳天皇の父。応神天皇の母は気長足姫尊(おきながたらしひめ)、神功皇后である。

 倉稲魂尊(くらいねたまのみこと)は素佐之男尊(すさのおのみこと)と稲田姫(いなだひめ)との間に生まれた子。

 「『江東歳時記』を書くなら、ここをみてくれなくては……」と案内されて石田波郷が八幡神社を訪れたのは、昭和32年(1957年)の5月5日。

 人妻との恋愛にやぶれた北原白秋があたらしい生活を志して江口章子という女性と結婚、葛飾郡小岩村小岩田の三谷という部落(現在の江戸川区小岩町8の263)に新居をもったのは、大正5年7月のことである。ある夕方、江戸川べりを歩いていた白秋が、その家から新妻の夕餉の支度をしている紫の煙をみて、紫烟草舎と名づけたということである。

 大正2年(1913年)5月、白秋は松下俊子と結婚するが、1年余りで離婚。大正5年(1916年)に江口章子(あやこ)と真間にある亀井坊( 現亀井院 )の庫裏の6畳間を借りて住む。7月、市川真間より小岩村大字三谷(現在の北小岩8丁目)に移り住む。白秋32歳の夏である。

 「『江東歳時記』を書くなら、ここをみてくれなくては……」という江戸川区民生委員の古い俳人田沢匏生さんに案内されて、白秋の旧居と石碑をみたのは5月5日、子供の日であった。 快晴にめぐまれて、対岸に国府台の見える江戸川べりの堤から、川幅が痩せてできた空き地で、キャッチボールをしている少年のすがたがうらやましいように撥剌(はつらつ)としている。東京がわは鯉幟の林。 あいにく風がないので、大方は垂れて、時を得ぬといったさまだ。匏生さんは、夢中で古い時代をかたっていて、つい、白秋旧居を通りすぎてしまう。それくらい平凡なただの住居になってしまっているのだ。引き返して、堤の上から見おろす。 いまは湯浅伝之丞氏の工場とか。屋根もプラスチックの波板のつぎはぎだらけ。そこから堤をおりて西へ向かうこと、約200メートル。畑や林が残っている舗道。自動車がすくないのはうそみたいだ。三谷八幡神社があるのは、そのみちからちょっとはいったところだ。境内はせまいが、埃をあげるみちも遠く青々とした畑がひかえているので、ひろびろと感じさせる。借景とでもいうのであろうか。

 白秋の旧居は土手の上にあった。しかし、昭和40年(1965年)の江戸川堤防の改修工事で取り壊され、現在は、市川国府台 里見公園 の中に復元保存されている。

 碑は「いつしかに夏のあはれとなりにけり乾草小屋の桃いろの月」という。毎年4月23日、揃いの白秋ゆかたをつけた近所の婦人連が、匏生さん作の小岩音頭をここで踊るよし。土地にはたった1年しか住まなかった白秋を慕うのも、東京の片隅に、昔ながらの田圃を守っている土地の人たちの素朴な愛情であろう。

『江東歳時記』 (江戸川の白秋碑)

八幡神社の境内に 北原白秋の歌碑 がある。


北原白秋の歌碑

いつしかに夏のあはれとなりにけり乾草小屋の桃いろの月

 明治から昭和にかけて高雅な詩や歌で有名な北原白秋(1885〜1942)は、大正5年(1916年−32歳の時)7月から約1年間、妻章子とともに、この小岩村大字三谷の乾草商富田家の離れに居を構えました。ここを「紫煙草舎(しえんそうしゃ)」(現在、市川市里見公園内に復元した建設)と名付け、葛飾の風土や人情に見守られながら、短歌雑誌『煙草の花』を創刊したり、数多い短歌や詩、小品集などの素材を得ました。

 昭和36年(1961年)、地元小岩町(現在の北小岩)の人びとは、白秋がこの江戸川べりの農村に住み、風物を愛したことをしのび、八幡神社の境内に彼の歌碑を建てました。

 白秋の歌碑は昭和36年(1961年)に建てられたようだが、石田波郷が訪れたのは昭和32年(1937年)。別の歌碑があったのだろうか。

 大正6年(1917年)に上京、7年に 小田原 に移転、章子は入籍するが、大正9年(1920年) 「木菟の家」 建築祝宴のいさかいで、出入りの新聞記者と駆け落ちしてしまう。

金魚

母さん、母さん、どこへ行た。紅い金魚と遊びませう。

母さん、歸らぬ、さびしいな。金魚を一匹突き殺す。

まだまだ、歸らぬ、くやしいな。金魚をニ匹締め殺す。

なぜなぜ、歸らぬ、ひもじいな。金魚を三匹捻ぢ殺す。

涙がこぼれる、日は暮れる。紅い金魚も死ぬ死ぬ。

母さん怖いよ、眼が光る。ピカピカ、金魚の眼が光る。

大正10年(1921年)2月18日『「赤い鳥」童謡 第四集』

この「母さん」は章子のことであろう。

大正10年(1921年)4月、白秋は佐藤菊子と3度目の結婚をする。

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