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渡辺崋山
「游相日記」
天保2年(1831年)9月20日、渡辺崋山は相州厚木に赴いた。
相州厚木に赴くにあたり、青山の
太白堂孤月
を訪れている。
訪
二
太白堂主人長谷川氏
一
到
二
青山
一
投
二
銭二百三十
一
去。
その日は荏田村の旅籠升屋喜兵衛宅に泊まる。
旅籠で
無量光寺
の俳僧陀阿、荻野の俳人
洞々
のことを聞いた。
無量光寺山門
又、高坐郡当麻といふに時宗の寺あり。これを当麻山無量光寺といふ。寺主陀阿、俳諧好す。名あり。荻野といふ所に洞々といえる俳師あり。
21日、荏田を出て、
長津田
で太白堂の門人兎来や琴松と会う。
長津田宿常夜燈
箍
(タガ)
掛りしばしありけり萩の花 武長ツタ 琴松
長津田の農松五郎、名ハ琴松とよぶ。余にこの句をおくる。
沢月堂主人、袁氏が瓶史にこころ深めて、心高うよにふれば、又号
二
兎来
一
。
米ハなに菊のこしをば君折む
琴松ハ農夫也。余はじめて逢ひしに、西疇に事ありとて出行。
はなしかけて麦蒔に行ぞ世は豊
兎来、旭陽堂と号、万屋藤七、経師、行燈、たばこをなりわひとす。
大海や何所まで秋のとゞく音 兎来 草
22日、
柴胡が原
のことを書いている。
柴胡が原陸橋命名碑
鶴間原出づ。この原、縦十三里、横一里、柴胡多し。よつて、柴胡の原ともよぶ。諸山いよいよちかし。
相模川を渡り、厚木村へ。旅籠
萬年屋古郡平兵衛宅
に泊まる。
相模川をわたる。此川大凡三四丁もありぬらん。清流巴をなして下る。香魚甚多。厚木に到。万年屋平兵衛が家を主とす。
厚木の繁盛
に驚いている。
渡邊崋山來遊記念碑
厚木の盛なる都[と]ことならず。家のつくりさまハ江戸にかはれども、女男の風俗かはる事なし。
22日、斎藤利鐘は厚木六勝に誘われ、厚木六勝を描いた。
蘭斎、撫松、厚木六勝を見んと誘ふ。これは撫松自厚木六勝を撰ミ、画をもとむ。故に其真境に到んと誘ふなり。
撫松は利鐘の別号。
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