このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


かげろふや柴胡の糸のうす曇

相模原市下溝に県立相模原公園がある。


相模原公園前のバス停横に「柴胡が原陸橋命名碑」がある。


左に柴胡の花、右に芭蕉の句。

かげろふや柴胡の糸のうす曇

出典は 『猿蓑』

元禄3年(1690年)、芭蕉47歳の句。

  『芭蕉句選』『芭蕉翁發句集』『風羅袖日記』『俳諧一葉集』 には「柴胡の原の」とある。

 相模野はかつて柴胡を多く産し、朝廷へも献上したので、一名柴胡が原とよばれたという。

 天保年間の渡辺崋山の「遊相日記」や下九沢小泉家の利角建立の芭蕉句碑にも見えている。

 柴胡は多年生草木で、その根は解熱剤として用いられた。

 近世末期、横山下の下溝村などでは冬期にこの野に出て柴胡を堀り生活の資に供した。

 柴胡が原陸橋命名の由来である。

昭和53年(1978年)3月、神奈川県建立。

 鶴間原出づ。この原、縦十三里、横一里、柴胡多し。よつて、柴胡の原ともよぶ。諸山いよいよちかし。

渡辺崋山 「游相日記」

下九沢小泉家の芭蕉句碑


陽炎や柴胡の原の薄曇

利角建立。

   かけろふや柴胡の原の薄くもり

柴胡の原知名と覚へたる誹士多し。柴胡ハ薬草也。河原柴胡なといふあれは、只見わたしたる春野の眼前躰なり


利角は下九沢作の口の人で、 丈水 の門人。小泉茂兵衛幸隆と称した。

利角の句

はつ秋といふ斗なる暑哉


椎の戸や昼の椿の落るおと


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