このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
出典は『奥の細道』 。
路通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて、大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
元禄2年(1689年)9月6日、芭蕉は『奥の細道』の旅を終え水門川の船町港から桑名へ舟で下り、伊勢長島の
大智院
に逗留。
藤堂新七郎家伝来の真蹟色紙がある。
い勢にまかりけるを
ひとの送りけれは
ばせを
蛤のふたみに別行秋そ
愛知県豊橋市の
老津公園
岐阜県大垣市の
「
史跡
奥の細道むすびの地」
、
大垣工業高等学校
に句碑がある。
蛤塚
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