このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
うらやまし浮世の北の山櫻
JR千葉駅東口で下車、駅前大通をまっすぐに進む。
富士見東電前で左に行くと、国道126号に面して
千葉神社
(HP)があった。
千葉神社尊星殿
千葉神社本殿
御祭神は北辰妙見尊星王。
通称「妙見さま」だそうだが、私は知らなかった。
北辰妙見尊星王は天之御中主
(あめのみなかぬし)
大神で、天之御中主
(あめのみなかぬし)
大神は『古事記』で最初に登場する神さま。
源頼朝
が千葉神社に参詣し、自筆の願文、太刀、武具などを奉納したそうだが、はっきりしたことは分からない。
永正6年(1509年)、柴屋軒宗長は千葉妙見の祭礼に訪れている。
十四日五日は、千葉の崇神妙見の祭礼とて、三百疋の早馬を 物見なり、
十六日は延年の猿楽、夜に入りて事果てぬ。
『東路のつと』
千葉神社境内に千葉天神があった。
寿永元年(1182)9月25日、勧請されたそうだ。
千葉神社の旧社殿である。
千葉神社境内に芭蕉と完來の句碑があった。
うらやまし浮世の北の山櫻
芭蕉翁
海はれて動かぬ星や秋の空
完來
元禄5年(1692年)1月16日、金沢の門人
句空
に贈った句。
『蕉翁句集』
(土芳編)は「元禄七戌ノとし」とするが、誤り。
「浮世の北」は金沢、「山桜」は句空。
『北の山』
(句空編)巻頭に収録。
うらやましうき世の北の山桜
翁
雪消えしまふ細ね大根
句空
雪中庵
完来
は雪中庵
蓼太
の門人で、彼の養子となり、天明7年(1787年)に四世雪中庵号と嵐雪伝来の点印とを継承した。
ちなみに雪中庵一世は
服部嵐雪
、二世は櫻井吏登、三世が
大島蓼太
、四世が大島完來である。
文政元年(1818年)9月、句碑建立。五世雪中庵
對山
書。
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