このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
物書いて扇ひきさく別れかな
熊谷市下川上に星宮公民館がある。
星宮公民館入口の左側に芭蕉の句碑らしきものがあった。
植え込みの中なのでよく見えない。
物書いて扇ひきさく別れかな
出典は
『
俳諧
一葉集』
。
丸岡の天龍寺を出る時、金澤の北枝と別に望みて
物書て扇ひきさくわかれかな
元禄2年(1689年)8月11日、『奥の細道』 の旅で金沢の
北枝
と別れに際して詠まれた句。扇は夏の季語。
丸岡
天竜寺
の長老、古き因あれば尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて、
物書て扇引さく余波哉
『奥の細道』
松岡にて翁に別侍し時、あふぎに書て給る。
もの書て扇子へぎ分
(わく)
る別哉
翁
笑ふ
(う)
て霧にきほひ出ばや
北枝
となくなく申侍る。
星宮公民館にいた人に句碑のことを聞いてみたが、分からない。それでも近所の知っている人を捜して教えてくれた。さらに後日資料が送られてきた。
こうした地元の方の温かい心に触れるのも句碑廻りの楽しみのひとつである。
寛政8年(1796年)6月、句碑建立。
以前句碑は星宮公民館の50mほど西にある三叉路に道標として置かれていた。それを宅地開発の際に移転したのだそうだ。
200年以上前のもので、芭蕉の句としても古い方だが、文化財にも指定されていない。いずれ分からなくなってしまうのではないか心配である。
碑の裏側
右側 南行田みち 北とねかしみち
左側 西めぬま くまがやみち
裏面 寛政八年丙辰稔六月吉祥日 願主武州忍下川上邑可曲建立
可曲は地元の俳人であろう。
行田市上池守にも星宮公民館がある。
昭和30年(1955年)、星宮村は熊谷市と行田市に分村合併した。
だから
星川小学校
も熊谷市と行田市にある。
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