このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
翁 塚
芳春寺
〜色紙塚〜
越前市高瀬に芳春寺という寺がある。
河濯山芳春寺
「河濯
(かわそ)
四光尊天」をご本尊に祀る。
臨済宗大徳寺派
の寺院である。
古く河濯権現として呼ばれて、広く親しまれている。7月30日から8月1日に行われる祭礼は大変賑う。
境内には、県内最古の松尾芭蕉の色紙塚や求道の人宮崎道安の歌碑がある。
境内の左手に「芭蕉翁之墓」と刻まれた標柱があった。
碑陰に「
文政六癸未正月再建
」とある。
その後ろに石灯籠がある。
「
獻芭蕉翁
寛政十一己未十月十二日 百練舎五中社中
」と刻まれている。
色紙塚
芭蕉翁之墓
元禄2年(1689年)、府中の俳人露朝が芭蕉から「
古池や蛙飛こむ水の音
」の色紙を頂いたという。
享保15年(1730年)3月12日、百花台嵐技は露朝の所持していた色紙を埋めて「色紙塚」を建立。蓮二坊書。
『諸国翁墳記』
に「
色紙塚 越前府中
ニ
アリ 連中建
」とある。
嵐技は本多家の家臣上坂平左衛門。
支考
の門人。初代宗匠。
寛延4年(1751年)76歳で没。
碑陰に支考の書いた碑文があるが、風化している。
寛政10年(1798年)、『色紙塚』刊行。
初め台座は1段だけだったが、文化10年(1813年)に2段を加え、3段になった。
副碑があった。
大正7年(1918年)、花吹仙等也建立。
等也は長尾権左衛門。十代宗匠桃々庵等仙の孫。十八代宗匠。
支考 の碑文が刻まれている。
此名謂色紙塚事者以古池之小色紙某所埋故也焉。抑謂此地之大觀乃者左河濯之社而書殘奧之細道給歴。謂越智之山陰雛之嶽見爲東西其山々而爲不有乏三越名縦。則爰便其時之吟行而永令遊其魂與也。
享保庚戌三月十二烏日
門人小子 蓮二坊拜誌
『奥の細道』に「
漸く白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。
」とある。
「色紙塚」の右に
支考の供養塔
があった。
梅花佛
大正15年(1926年)、花吹仙等也建立。
「色紙塚」の左に等也の碑があった。
花盛今日もうつゝの紀行かな
昭和4年(1929年)、建立。
昭和15年(1940年)、85歳で没。
芳春寺
昭和10年(1935年)春、岡田啓介筆の「河濯山」額があった。
慶応4年(1868年)1月21日、岡田啓介は越前国福井に生まれる。
昭和9年(1934年)7月8日、第31代内閣総理大臣となる。
昭和11年(1936年)2月26日、反乱軍に襲撃されたが、難を免れた。
昭和27年(1952年)10月17日、84歳で没。
福井市の
中央公園
に岡田啓介像がある。
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