このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
まつたのむ椎の木もあり夏木立
横須賀市岩戸に満願寺という寺がある。
岩戸山満願寺
臨済宗建長寺派
の寺である。
満願寺に芭蕉の句碑があった。
まつたのむ椎の木もあり夏木立
出典は
『猿蓑』
(幻住庵の記)。
かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。「楽天は五臓の神を破り、老杜は痩せたり。賢愚文質の等しからざるも、いづれか幻の住みかならずや」と、思ひ捨てて臥しぬ。
先づ頼む椎の木も有り夏木立
元禄3年(1690年)、芭蕉47歳の時の句である。
横須賀市指定市民文化資産
中島三郎助の筆による句碑
慶応2年(1866年)に建立。揮毫は中島三郎助。表面は芭蕉の句が、裏面には建立関係者名が刻まれおり、当時の文人中島三郎助の筆跡を残す貴重な碑である。
中島三郎助はペリーの
浦賀
来港の際に交渉にあたった浦賀奉行所の与力。
明治2年(1869年)5月16日、中島三郎助は
箱館
で長男恒太郎や次男英次郎と共に戦死した。
浦賀の
東林寺
に中島三郎助の墓がある。
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