このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句


先たのむ椎の木も有夏木立

出典は 『猿蓑』 (幻住庵の記)。

 元禄3年(1690年)4月6日から7月23日まで芭蕉は国分山の 幻住庵 に滞在した。47歳の時である。

幻住庵


幻住庵の記

 石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山と云。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。麓に細き流を渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして、八幡宮たゝせたまふ。神体は弥陀の尊像とかや。唯一の家には甚忌なる事を、両部光を和げ、利益の塵を同じうしたまふも、又貴し。日比は人の詣ざりければ、いとゞ神さび物しづかなる傍に、住捨し草の戸有。よもぎ・根笹軒をかこみ、屋ねもり壁落て、狐狸ふしどを得たり。幻住菴と云。あるじの僧何がしは、勇士菅沼氏曲水子之伯父になん侍りしを、今は八年斗許むかしに成て、正に幻住老人の名をのみ残せり。

 予又市中をさる事十年計にして、五十年やゝちかき身は、蓑虫のみのを失ひ、蝸牛家を離て、奥羽 象潟 の暑き日に面をこがし、高すなごあゆみくるしき北海の荒礒にきびすを破りて、今歳湖水の波に漂。鳰の浮巣の流とゞまるべき蘆の一本の陰たのもしく、軒端茨(ふき)あらため、垣ね結添などして、卯月の初いとかりそめに入し山の、やがて出じとさへ思ひそみぬ。

 さるを、筑紫高良山の僧正は加茂の甲斐何がしが厳子にて、此たび洛にのぼりいまそかりけるを、ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染て、幻住菴の三字を送らる。頓(やが)て草菴の記念となしぬ。すべて山居といひ旅寝と云、さる器たくはふべくもなし。木曽の檜笠、越の菅蓑計、枕の上の柱に懸たり。昼は稀々とぶらふ人々に心を動し、あるは宮守の翁、里のおのこ共入来りて、いのしゝの稲くひあらし、兎の豆畑にかよふなど、我聞しらぬ農談、日既に山の端にかゝれば、夜座静に月を待ては影を伴ひ、燈を取ては岡(罔)両に是非をこらす。

 かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。「楽天は五臓の神を破り、老杜は痩せたり。賢愚文質の等しからざるも、いづれか幻の住みかならずや」と、思ひ捨てて臥しぬ。

先たのむ椎の木も有夏木立

福島県郡山市の 阿弥陀堂

埼玉県小川町の 八宮神社

東京都八王子市の 永泉寺

千葉県旭市の 八重垣神社 、匝瑳市の 無量院

神奈川県横須賀市の 満願寺

滋賀県大津市の 幻住庵 、高島市の 妙楽寺

愛媛県西条市の 覚法寺

福岡県久留米市の 久留米城址

長崎県佐々町 鴨川免の旧家

熊本県熊本市の 本妙寺 に句碑がある。

阿弥陀堂の句碑



八宮神社の句碑



永泉寺の句碑



八重垣神社の句碑
   
無量院の句碑

   


満願寺の句碑



幻住庵の句碑



覚法寺の句碑



芭蕉の句 に戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください