このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
古池や蛙とひこむ水の音
建勲神社
から旧東村山郡役所へ。
旧東村山郡役所
明治12年(1878年)、建築。
県の有形文化財である。
旧東村山郡役所南側の城山公園に「芭蕉翁ゆかりの地、翁塚を保存するため」の碑があった。
念仏寺跡 翁塚
宝暦戊寅八月十二日 池青芭蕉翁の句碑建立地
昭和53年(1978年)7月13日、建立。
芭蕉の句碑があった。
古池や蛙飛びこむ水の音
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、
深川芭蕉庵
で詠まれた句。
芭蕉42歳の時である。
昭和56年(1981年)7月11日、天童おくの細道研究会建立。
池青建立の句碑は、現在天童市貫津の
旧家
にある。
さらに翁塚説明の碑があった。
山形の俳人雨聲庵山皓が宝暦10年4月19日象潟探勝の旅日記
「笠の連」
に次の一節がある
天童なる浦夕子を尋ねて
おのづから畳も青し若楓
山皓
その下闇を問ふほととぎす
浦夕
天童念佛堂の境内に翁塚を拝す。うしろには楯跡の小山をたのみ、碑前にはおのづからなる古池あり。松風は梵をなし、蛙とびこむとの髙詠も眼のあたりなり。
鉦鼓より鳥のかんこや翁塚
山皓
芭蕉翁が天童を通り、山寺を尋ねたのが元禄2年旧5月27日、28日である。宝暦8年旧8月12日、菱華亭池青が念佛堂に「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑を行脚70年記念に建立し翁塚と称した。山皓が翁塚を訪れたのが2年後のことである。
昭和61年 ふみつき
浦夕と池青は山寺の
蝉塚
建立にも名を連ねている。
別の芭蕉句碑もあった。
行末は誰肌ふれむ紅の花
『
俳諧
一葉集』より
昭和61年7月13日、建立。
清風
亭 二句
行末は誰肌ふれむ紅の花
眉掃を俤にして紅のはな
『
俳諧
一葉集』
文政10年(1827年)、『
俳諧
一葉集』刊行。古学庵仏兮、幻窓湖中編。
行すゑは誰肌ふれむ紅の花
此句はいかなる時の作にかあらん。翁の句なるよし、人々のつたへ申されしが、題しらず。
『西華集』(各務支考)
いつ、どのようにして詠まれた句なのか、
各務支考
も分からなかった。
ゆくすゑは誰の肌にふれむ紅の花
愚考、源氏末つむ花の巻に、「紅の花ぞあやなくうとまるゝ梅の立枝はなつかしけれど、詞にいでやとあひなくうちうめかれ玉ふ。あないとをかし、かゝる人々の末々いかなるや」、云々。物語の俤也。紅はすべて若ものゝうらにのミ用ふるからに、肌ふれバとハ光せりたり。
『芭蕉翁句解参考』
(月院社何丸)
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