このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
「芭蕉句碑」
一疋のはね馬もなし河千鳥
栃木県下都賀郡野木町に野木神社がある。
野木神社
主祭神は莵道稚郎子命
(うじのわきいらつこのみこと)
。
延暦年間に
坂上田村麻呂
が蝦夷平定の帰途、社殿を造営したと伝えられるそうだ。
町指定文化財
公孫樹
坂上田村麻呂
参詣の記念に植えられたものと伝えられている。
公孫樹の木の下に芭蕉墳があった。
一疋のはね馬もなし河千鳥
徳雨が所持する芭蕉書簡の句。
『もとの水』
、
『風羅袖日記』
、
『奥の枝折』
、
『
俳諧
一葉集』
に収録されているが、一般に
存疑
の句とされている。
宝暦10年(1760年)11月3日、徳雨建立。
徳雨は下総国葛飾郡関宿の人。梅田氏。
祇徳
て門人。
句碑建立を記念して
『千鳥墳』
を刊行。
明和2年(1765年)、白井鳥酔は野木神社に詣で「河千鳥塚」を見ている。
河千鳥塚
寶暦辰仲冬三日徳雨建 在社頭南隅樹下
自然石正面に「一疋のはね馬もなし河千鳥」といへるはせを翁の遺章とて□す。アゝ鼻祖の徳光今海内に輝きて、かゝる邊際に至る迄景慕する事の尊くて泪睫にあまり侍る。聊鄙言を墓下に諷ふのみ。
秋のくれ馬も千鳥もなかりけり
鳥醉
『乙酉吟行甲乙記』
明和9年(1772年)、
横田柳几
は野木神社に参詣、「川千鳥塚」を見ている。
社内念仏堂の側に徳雨子か建られし祖翁の川千鳥塚あり
『古河のわたり集』
『諸国翁墳記』
に「
千鳥塚 日光道中野木野神
ニ
在 徳雨建
」とある。
栃木県では佐野女子高校の
「菖蒲塚」
に次いで古い「芭蕉」の句碑であろう。
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