このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
有とあるたとへにも似ず三日の月
名古屋市東区徳川に了義院という寺がある。
日蓮宗
の寺である。
妙見山了義院
お寺には珍しく鳥居がある。
鳥居をくぐると、右手に「三日月塚」があった。
□□□□たとへ□□似ず三日の□
出典は
『笈日記』
。
貞享5年(1688年)7月3日、『笈の小文』の旅の途次、名古屋の円頓寺(現名古屋市西区橋詰町)で詠まれた句とされる。
『阿羅野』
には「
何事の見立てにも似ず三日の月
」とある。
○何事の見たてにも似ず三日の月
三日月塚
芭蕉五十回忌の寛保3年(1743年)10月に、五条坊木児が建立したもので、碑面に「有とあるたとへにも似ず三日の月」と『笈日記』の句形が刻してある。この句には、「大曽根成就院(了義院の前名)の帰るさに」という前書きがある。
昭和24年10月、戦災で破損した原碑を原型に残し、別に新碑が建てられた。
名古屋市教育委員会
『諸国翁墳記』
に「
三日月塚 尾州大曽根成就院
ニ
在 五条坊建
」とある。
木児は名古屋京町に住む御糸屋彦六。
支考
の門人。
寛保3年(1743年)、記念句集『秋農昔』(木児自序)。
安永7年(1778年)、成就院は無住となり、荒廃。
三日月塚懐古
大曽根の成就院、今は悉皆頑度
仏跡地を返して粟稗畝
(あぜ)
をたゝみ、
彼三日月の碑はものゝ隅に押入、
うしろざまにすうゑたるなど、いと
哀に覚えて。
ありとだに形ばかりなる三日の月
蜀黍
(たうきび)
の穂首になびけ三日の月
『暁台句集』
天明4年(1784年)、妙見堂を祀る。
天明7年(1787年)、了義院と寺名を改める。
花鳥のけしきとゝのひたる古寺の名を成就院とさへ申き。むかし芭蕉の翁、この菴に晩望して、「ありとあるたとへにも似ず三日の月」。かくはいひ出られたり。又、五条坊木児といへるが、この吟をゆかしがりて三日月塚をさへ築きける。それさへ五十年のきのふとなりて、瓦破れ木葉もり、狐狸おのがまゝに人すむさまにすみかはりぬ。こゝに浜島の左琴は法華の信実の長者なり。小堂仏坐おもふたけにいとなみ遂たり。庭中の松柏こゝろを得、垣外の風色かしらを擡
(もた)
ぐ。吟客の面起すべき時なるをや。
三日月によく似たものよ二日月
『枇杷園句集後編』
「三日月塚」新碑
有とあるたとへにも似ず三日の月
芭蕉の句碑
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