このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
古池や蛙飛こ無水の音
水戸市飯富町に大井神社がある。
延喜式内小社
である。
「延喜式神名帳」(927年)に「
常陸國那賀郡大井神社
」と記載されている。
大井神社の鳥居
石段を登る。
徳川光圀
が那珂川守護のため石段を奉納したという。
大井神社社殿
安政年間、徳川斉昭の命により造営されたそうだ。
祭神は建借馬命
(たけかしまのみこと)
。
大井神社の駐車場から細い道を下ると、竜光院跡がある。
竜光院は高水山竜光院法善寺と称した。
しばらく看主セよと仰ごと蒙りし寺は名にあふ那珂川に餘る山院にて高水山といへり。水勢の転化にやいつの比よりか河水の溢れて麓の里を浸すこともありしが、近き比は年毎の洪水家を破りたなつものををし流して農の苦しむこと大かたならず。是に依て誰いふとなく高水の名を忌そめて常に此ことを歎く。余爰に移住するに贅ておほやけに此趣を訴へ奉りしにかしこくも法雲の二字に改め給りけれバ一村の喜び翌日にものなし。余も思ひこし本懐のたりて今よりしてはなを年毎に運ぶ御調の数増りなんことを恐れながら祝し奉りて
名の下に實ある代なり雲の秋
『遅月句集』
文久2年(1862年)、竜光院は落雷による火災で堂塔すべてを焼失してしまった。
竜光院跡に芭蕉の句碑があった。
古池や蛙飛こ無水の音
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、
深川芭蕉庵
で詠まれた句。
文化2年(1805年)10月、高水山竜光院の住職
遲月庵空阿
上人建立。
昭和28年(1953年)秋、竜光院の火災で埋もれたままなっていた句碑を発掘し、90年ぶりに復元したもの。
寛延3年(1750年)5月、遲月は備中国小田郡笠岡に生まれる。俗名丸山幸之助守邑。
明和5年(1768年)、京都の安養寺で仏門に入り、芭蕉庵四世
不二庵二柳
に俳諧を学ぶ。
文化9年(1812年)9月15日、江戸で遷化。
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