このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
しばらくは花の色なる月夜かな
太田市世良田町に八坂神社がある。
八坂神社
祭神は素戔嗚尊。
拝殿の右手に芭蕉の句碑があった。
しばらくは花の色なる月夜かな
出典は
『芭蕉句選』
(華雀編)。
『初蝉』
(風国編)には「花の上なる」とある。
貞亨5年(1688年)春、「笈の小文」の旅の途上で詠まれた句。服部土芳
『蕉翁句集』
(宝永6年刊)には「
よし野にて
」と前書きがある。芭蕉45歳の時である。
太田市指定重要文化財
芭蕉句碑
ばせを翁
しばらくは
花の色なる
月夜かな
春秋三世碓嶺書
この句碑は文政9年(1826年)建立で、
仁井田碓嶺
の筆になる芭蕉句碑である。碓嶺は安永9年(1780年)に上州碓氷郡坂本宿中宿に生まれる。師の
常世田長翠
の初号都久裳にちなんで九十九坊といったり、昨日庵とも号した。後年には師長翠の没後、小蓑庵を継いで上毛俳壇に師の俳風を伝えた。
この八坂神社の句碑に「春秋三世碓嶺書」とあるところから、碓嶺が加舎白雄、長翠の後に春秋庵を継いだ事実が証明される点で、俳諧資料としても貴重なものとなっている。
碑陰には、碓嶺の指導を受けた人達であろう造立者(志塩、梅雪、兎月ら)20名の地元俳人名を列ねて、往時当地方の俳諧の盛行を偲ばせている。
太田市教育委員会
「志塩、兎月」は常世田長翠の
『諸郡銘録』
に見える。
兎月
世良田
菊池忠次郎
志塩
茂木源蔵
志塩の句
雪の日や柿の枝ふりよく見たり
夏草の雨にたち葉ハなかりけり
冠稲荷神社
奉納俳額
人の来て火ともす迄の桜かな
『衣更着集』
ゆふ立の人住島にとゝけかし
『春秋稿』(第六編)
夕立の人住(む)山にとゝけかし
『黒祢宜』
東風吹や野にさし出し門がまへ
『玉の春』
蝙蝠や三輪のしるしも暮る時
『あなうれし』
昭和5年(1930)9月14日、
斎藤茂吉
と
土屋文明
は八坂神社境内で行われた
木崎節
を見物した。2人は
長楽寺
に立ち寄ったそうだ。
八坂神社近くの民家にも芭蕉の句碑があった。
茂みの中にあるので、写真はうまく撮れない。
名月や池をめくりて終夜
出典は
『あつめ句』
(貞享4年編)。
貞亨3年(1686年)8月15日、
芭蕉庵
で月見の宴を催した折の句。
天保2年(1831年)3月、菊池兎月建立。
兎月73歳の時である。
石は自然石。
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