このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
古池や蛙飛込む水のおと
岡崎市矢作町馬場の旧東海道沿いに聖願寺という寺がある。
慶念山聖願寺
時宗
の寺である。
承安4年(1174年)、
源義経
は金売り吉次に伴われて藤原秀衡のもとに向かう途中、矢作の宿で浄瑠璃姫を知る。
寿永2年(1183年)3月、浄瑠璃姫は源義経の帰りを待ちきれず、菅生川に身を投じて死んだ。
建久年中(1190〜1198)、誓願寺の境内に埋葬し、十王堂を建立して浄瑠璃姫及び義経の木像を安置した。
聖願寺に芭蕉の句碑があった。
古池や蛙飛込む水のおと
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、
深川芭蕉庵
で詠まれた句。
宝暦12年(1762年)10月、矢作の橋守園連中建立。買夜(
暁台
の前号)書。
宝暦13年(1763年)10月12日、開眼供養。
宝暦13年(1763年)、記念集
『蛙啼集』
(暁台自序)。
明和元年(1764年)9月9日、多賀庵風律は田子の浦の帰途、聖願寺を訪れたようである。
矢はきの橋を過て長者の跡あり其寺に浄類理姫の墓ありといふ竹戸いまた開かす茶屋に休らひて此事を語けるに住持朝寐の癖ありといふ又行けるに門猶あけすさのミハとて過けり
『紙魚日記』
享和元年(1801年)3月5日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で聖願寺に立ち寄っている。
右に親鸞上人御旧跡柳堂あり。十王堂あり。慶念山聖願寺に浄瑠璃御前の墓ありときゝて、立よりて見るに、本堂の前の右の方にあり。堂に義経の像・浄瑠璃
(像)
あり。古きものとみゆ。
『改元紀行』
文化14年(1817年)夏、
鶴田卓池
は
井上士朗
の七回忌追善を1年繰り上げて誓願寺で行う。追善集『たかむしろ』刊。
境内を矢作保育園の子供が遊んでいた。
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