このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
初時雨猿も小蓑をほしけなり
高崎市高松町にもてなし広場がある。
もてなし広場の池の畔に芭蕉の句碑があった。
初時雨猿も小蓑をほしけなり
『猿蓑』
冒頭の句。
元禄2年(1689年)9月下旬、芭蕉46歳の作。
『卯辰集』
には「
伊賀へ歸る山中にて
」と前書きがある。
県下でも山手地方に多いこの句碑をここは繁華街の真ん中で築山にながめている家がある。高崎市新町の時計商茂原細奈永氏がそれ。碑は縦横共三尺ばかりの焼餅型野石の一面だけみがいて、くせのある
小蓑庵碓嶺
の手で高吟が大書してある。もと通町の修験甲申寺所在のものを移したので、碑面左下に茂原示洲建立とあるのは再興の意味であるが、同家には示洲の次の代に岩田雨工門下の青年俳人郊水が出た。句は元禄二年「猿蓑」にある。その後同市寺尾町に移された。
『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)
もてなし広場に移されるまで、さまざまな歴史があったようだ。
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