このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
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山 口
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傘におし分見たる柳かな
防府市高井に剱神社がある。
剱神社
剱神社由緒
本社は人皇第六十代醍醐天皇の時に作られた延喜式(西紀905)に登載されている
式内神社
で、最も古い周防国十座の中の一座である。
社伝に人皇第十四代仲哀天皇熊襲御親征の時、当地に行幸し、賊徒降伏祈願のため「八握の剣」を御神体とし、武勇の神「素盞嗚尊」を鎮祭し玉うたに初まり、神功皇后夷賊御征伐の際、傍の坂に登り、海上を臨み、神徳の加護を祝して群臣と共に御勝利の雄叫びをあげ玉う。よってこの坂を名付けて勝獲坂(今の勝坂)と称す。
この事跡を慕い
源義経
は西下の際参拝して弓矢鎧鉾を奉納し、太閤
豊臣秀吉
も九州進発の時に、願をかけ、帰陣の後唐の太鼓を寄進した。
大内、毛利氏代々も尊崇厚く広大な神田を寄進して戦勝並びに領内平穏と五穀豊穣とを祈願した。
往古、長暦年中(西紀1037)までは国幣使を立てられていたが、明治維新後郷社に列せられた。
なお昭和43年2月1日山形県鎮座の居合神社の御分霊を配祀した。
社殿の左手に芭蕉の句碑があった。
傘におし分見たる柳かな
出典は
『炭俵』
。
元禄7年(1694年)、濁子・
野坡
らとの句会の発句。
建立年は不詳。
芭蕉の句碑
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