このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


藤の實は俳諧にせん花の阿と

大和町吉岡町裏に吉岡八幡神社がある。


参道の右側に芭蕉の句碑があった。


藤の實は俳諧にせん花の阿と

出典は 『藤の実』 (素牛編)。

素牛は 広瀬維然 の別号。

 元禄2年(1689年)9月、芭蕉が『奥の細道』むすびの地大垣に滞在中、維然は関から訪れた。

関の住、素牛何がし、大垣の旅店を訪はれ侍りしに、かの ふぢしろみさか といひけん花は、宗祇のむかしに匂ひて

藤の実は俳諧にせん花の跡

『藤の実』

寛政11年(1799年)3月、建立。

『諸国翁墳記』 に「藤實塚 奥刕黒川郡今村八幡建 同門人中」とある。

随身門


黒川総鎮守である。

社殿


祭神は應神天皇。

社殿の右手にも芭蕉の句碑らしきものがあった。


上部が欠けている。

風羅坊

(花にあそふ虻なくらひそ)友すゝめ

出典は『続の原』(不卜撰)。

貞亨4年(1687年)、芭蕉44歳の句。

「物皆自得」と前書きがある。

「風羅坊」は芭蕉の別号。

百骸九竅の中に物有、かりに名付て風羅坊といふ。


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