このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2005年
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香取神社
〜一里塚の碑〜
JR常磐線南柏駅から旧水戸街道を北小金に向かう。
柏市から流山市に入ると、福祉会館入口に香取神社がある。
香取神社
江戸時代初期創建の旧向小金新田の産土神
(うぶすながみ)
。祭神は経津主命
(ふつぬしのみこと)
。境内には一里塚碑、青面
(しょうめん)
金剛像の庚申塔などの石造物やイチョウ、ムクなどの保存樹木がある。
文化4年(1807年)3月1日、一茶は小金原を通り流山に入る。
よるハとしや野べは鳥鳴桜咲
一里塚の碑
この香取さまの社頭南北に通う道は、江戸と水戸との往還、水戸街道であります。むかし街道には1里毎に土を盛塚となして、榎の木を植え生やし、旅人たちの目じるしとも、暑い陽射しには憩いの日蔭を、俄かの雨には頼みの木立を、それは酷
(きび)
しくも美しい自然と人間とのかかわりでもありました。
ここにも一里塚があって、長い歳月の程を朝に夕に往き来の人を送り迎えた榎の巨木は、幾とせか前に枯損して、塚は毀
(こぼ)
ち均
(なら)
され、これは植え継がれた榎です。
過ぎゆく忽忙の歴史の彼方に、そこはかとなく忘れ去ることの忘却を想い、この碑を建てました。
昭和62年秋
一里塚の碑に小林一茶の句が書いてある。
下陰をさがしてよぶや親の馬
小金牧の放馬を詠んだ句。小金牧は下総台地にあった幕府の御用牧場。
季語は下陰。
文化7年(1810年)6月14日、
流山
から小金原を経て
守谷
に向かう。
十四 晴
小金原
布施村中食す。守谷西林寺入。将門旧迹所々に有。
『七番日記』(文化7年6月)
一茶48歳の時である。
松戸の
子和清水
(こわしみず)
には「
母馬が番して呑ます清水かな
」の句碑がある。
嘉永4年(1851年)12月15日、吉田松陰は
小金宿
を過ぎて小金原に出る。
十五日 晴。辰時、寺を出づ。行くこと三里、小金驛と爲す。驛を過ぐれば廣原漫々たり、即ち小金原にして幕府の操場なり。野馬九匹を見る。
『東北遊日記』
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