このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
いざり松
〜芭蕉の句碑〜
JR予讃線川之江駅特急「いしづち7号」
伊予三島駅で普通列車に乗り換えて、伊予土居駅下車。
遍路道を歩くと、松風病院前に「俳人小林一茶宿泊 島屋跡」の碑があった。
昭和62年(1987年)秋、一茶句碑建立委員会。
「一茶句碑」は、どこにあるのだろう。
寛政7年(1795年)2月8日、一茶は土居の島屋に泊まっている。
土居、島屋 と云はたごやに宿。八里也。人々は金比邏参とて相宿のすだく〔に〕つけても、君が世のありがたさは、きのふや今日までは松かざりのありしが はや、
出て見れば我のみならず初旅寝
『西国紀行』
いざり松
この松は、弘法大師お手植えの松と伝えられ、地面に大きく枝を広げた樹相から、「土居のいざり松」と呼ばれ親しまれてきました。
しかし、惜しいことに昭和43年暮に枯れてしまい、今では、残った枝や太い幹で、ありし日の雄姿を想像するしかありません。その巨木ぶりは、目通り直径5m。枝張り東西30m余、南北20mにもおよんだそうです。
いざり松の遍路道沿いに芭蕉の句碑があった。
宿可し亭名越名乗ら寿留時雨可奈
(やどかしてなをなのらするしぐれかな)
出典は
『芭蕉庵小文庫』
「真蹟懐紙」には「宿かりて」とある。
元禄4年(1691年)10月、
島田
で詠まれた句。
安政2年(1855年)、三宅棹舟建立。
三宅棹舟の句「
静かさや幾十かへりも匂う花
」の碑もあったようだ。
明治20年(1887年)1月、棹舟は64歳で没。
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