このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
三津の渡し
〜小林一茶〜
洗心庵跡
から三津の渡しを渡り、三津浜へ。
角田造船所が見える。
渡しの由来 松山市
三津浜の人びとはこの渡しを「洲崎の渡し」「三津の渡し」と言い、港山の人びとは「古深里
(こぶかり)
の渡し」「港山の渡し」と言っている。
文明年間(1469)伊予守河野通春が湊山城主であったとき、この渡しを利用したのが始めだとも言われ、松山城主が三津を水軍の根拠地と定め(1603)ここに御船場を置き、御船手を配置(1635)してからは、その統括の下に運行されていた。
寛文4年(1664年)洲崎の魚市売買に御沙汰があったことにより商人などでにぎわい、また
小林一茶
も古深里洗心庵の句会のとき渡っている。(1795)
大正の初めころまでは小舟を水竿で操り、その後手漕ぎ時代が長く続き、昭和45年(1970年)エンジン付き渡船となった。
現在正式名称は松山市道高浜2号線の一部(約80米)である。
松山市
エンジン付き渡船
五日、松山を出て三里、三津浜方十亭を主とす。
九日、人々と共に小深里の洗心庵に会。前文略。
汲みて知るぬるみに昔なつかしや
『寛政紀行』
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