このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2019年の旅日記

山の神古戦場〜閑林園〜
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松山市小川に「山の神古戦場」がある。

山の神古戦場

治承3年(1179年)10月3日付け 源頼朝 より河野通清に依頼状があり(現在高野山金剛三味院に保存)、これを快諾した通清は四面平家の勢力の中で、敢然として頼朝に呼応したが、備後の怒可入道西寂が兵船3千をもって高縄城に進攻、注進により道後館より一族16騎、兵120人をもって帰城途中敵の伏兵と遭遇、大いに戦うも利あらず、治承4年(1180年)1月15日山中の大松のもとで割腹し、家来の者がその首級をもち大栗へ落ちのびたと伝えられる。大松は昭和40年(1965年)枯死した。

松山市教育委員会

山の神古戦場に「閑林園」があった。


地元の篤志家林関四郎が句碑を整備していたそうだ。

武智虚華の句碑


天の則されど行く春惜しみけり

有田華樹の句碑


高縄嶺珠とし抱き花芒

有田華樹は本名有田信孝。

昭和56年(1981年)、粟井吟社主宰。
昭和63年(1988年)、北条俳句協会会長。
平成8年(1996年)8月、没。

三井瓢百庵の句碑


閑林苑佛と句碑と合掌す

三井瓢百庵は本名三井清。寿司店「瓢百庵」の亭主。

越智二良の句碑


逝く春や手がけし石もみな哭かん
   水草

何いそぐ旅立ちや牡丹咲かぬ間に
   二良

閑林園開発者の林氏の死を悼んで詠まれた句。

水草は二良の俳号だそうだ。

村上齋月 の句碑


天地正大之気巍々千秋に聳えけり
(てんちせいだいのきぎぎせんしゅうにそびえけり)

富田狸通の句碑


風流を只一匹の虫に聴く

富田狸通は本名寿久。

明治34年(1901年)、温泉郡川上村(現東温市)に生まれる。

昭和52年(1977年)、没。

花叟・霽月・ 波郷極堂 の4句を1基に刻んだ句碑があった。

花叟の句


こし折といふ名もをかし春の山

大正4年(1915年)、仙波花叟は「時雨吟社」(後の風早吟社)を創立。

霽月の句


鶯の聲々心ほとけゝり

波郷の句


秋いくとせ石鎚を見ず母を見ず

『酒中花』収録の句。

この句の碑は 垣生小学校 にある。

極堂の句


春風やふね伊豫に寄りて道後の湯

この句の碑は 道後温泉 にある。

越智水草の句碑


露やがて手にしとどなる花鋏



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