このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
願照寺
〜羽島水音吟社〜
羽島市下中町石田に願照寺という寺がある。
願照寺山門
羽島市指定史跡
句 碑
一味庵石田宗匠の句碑 芭蕉翁の句碑 翠竹園双雀の句碑
俳聖芭蕉翁を元祖に
各務支考
の美濃正風俳諧史を飾る故一味庵石田宗匠(本名、高味友三郎)は慶応3年9月3日羽島市下中町石田(旧、美濃国中島郡石田村)に生れ俳諧の道に研讃をつみ、大正9年7月6日獅子門十九世を襲統された。東海、関東、奥羽、北陸、山陰、山陽、四国、九州にまで足跡を印し遠く朝鮮にまで門葉を拡められた近世の大俳人で美濃正風獅子門中興の祖と言われる。当時、美濃獅子門正風水音社の分社と称するもの全国に124社に及んだと言われる。
翠竹園双雀(本名、山北賢治)は一味庵石田宗匠と同村同友で正風水音社第一世下中島分社長、獅子門補佐職になった俳人である。
これ等の俳人が美濃俳諧史上地方文化の向上に貢献された功績は誠に偉大なものがある。
羽島市教育委員会
山門を入ると左手に正風水音社下中島分社句碑群があった。
松尾芭蕉の句碑
物いへば唇さむし秋の風
出典は
『芭蕉庵小文庫』
(史邦編)。
貞亨元年から元禄年間の句。
『蕉翁句集』
(土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。
高味石田の句碑
白雲の空行く果てや花紅葉
獅子門再和派十九世道統
北方町北方に
西運寺
に句碑がある。
山北双雀の句碑
侘しさを松に弾せて苫あらみ
水音社下中島分社長一世
内田松柏の句碑
雨晴れて月ありのきに虫のこゑ
獅子門再和派二十四世道統
水音社下中島分社長二世
以上が羽島市指定文化財。
以下水音社下中島分社長十四世までの句碑がある。
華光山願照寺
真宗大谷派
の寺である。
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