このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
尾崎康工
『
俳諧
百一集』
・
『蕉句後拾遺』
戸出村の人。
中川乙由
の門人。別号八椿舎。近江の
義仲寺
に滞在。晩年は故郷の戸出村に戻り六壁庵を結んだ。
元禄15年(1702年)、越中国砺波郡戸出村に生まれる。
宝暦年中(1751〜63)、町川の土堤に
甍塚
建立。
観音のいらか見やりつ華の雲
宝暦14年(1764年)5月、
『
俳諧
百一集』
上梓。
安永3年(1774年)正月、
『蕉句後拾遺』
自序。
安永8年(1779年)3月6日、79歳で没。
高岡市戸出の
太玄寺
に「夕顔塚」がある。
燈もひとつまた夕顔の見えにけり
康工の句
鳳巾蠶の紙も動く時
『
俳諧
冬扇一路』
しくるゝや小鴨に舟の行当
『七時雨』
梨の花咲て昼鳴蛙かな
『
俳諧
百一集』
秋のくれ人のわたらぬ川の音
『
蕉門
むかし語』
然れともものにさはらす雉子の声
『
俳諧
玩世松陰』(五編)
梨の花咲て昼なくかはづ哉
『おもかげ集』
誰が春のものと見初て柳かな
『
俳諧
有の儘』
秋風に吹れて居るやかしや札
『桐の影』
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