このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
南嶺庵梅至
南本町の俳人。
露川
(月空居士)の門人。
可都里
『名録帖』
に「梅至
茶町
南嶺庵」とある。
宝暦5年(1755年)2月、南嶺庵梅至は芭蕉の足跡をたどって江戸に到る。
『奥羽の日記』
宝暦13年(1763年)10月12日、南嶺菴連中は
芭蕉の句碑
を建立。
景清も花見の座には七兵衞
安永6年(1777年)6月、松村篁雨は梅至を訪ねている。
高田 梅至叟をたつねて
高田
北からも名の薫りけり越の風
山本喜右衛門
『北越奥羽紀行』
安永9年(1780年)、南嶺庵梅至は
『蕉翁追善集』
刊行。
梅至の句
にらまるゝ月に逃てハしくれ哉
『七時雨』
燈篭や市に鎮まる小柴垣
『
蕉門
むかし語』
水の月探りて後と知られたり
『華鳥風月集』
冬木立漁村ハくツむ夕なり
『はなのつと』
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