このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜東北〜


「おくのほそ道」尾花沢碑

 尾花沢市街から国道13号に向かうと、明友本社工場前に「おくのほそ道」尾花沢碑があった。


「おくのほそ道」尾花沢碑


尾花澤にて 清風 と云者を尋ぬかれは富るものなれとも志いやしからす都にも折々かよひてさすかに旅の情をも知たれは日比とゝめて長途のいたはりさまさまにもてなし侍る

涼しさを我宿にしてねまる也
這出よ飼屋が下のひきの聲
まゆはきを俤にして紅粉の花
蠶飼する人は古代のすがた哉   曾良

加藤楸邨揮毫。

昭和62年(1987年)10月、おくのほそ道紀行300年を記念して建てられた。

芭蕉と清風出合いのまち


 芭蕉が 尿前の関 を越えて、陸羽国境の難処に心神を労して来た時、清風の行届いた歓待を受けた心持はどんなであったろうか、涼しさを我宿の句の如き、直に真情の流露である。この地に来て親しく当時を追懐する旅情は人をして泣かしめる。 ついでながら、この地は昔から養蚕も盛んであった。今は跡を絶ったけれども、紅花畑も一面にあったのである。紅花は真紅と黄と樺とを帯びた、一銭銅貨大の柔かい六弁二重位の花であったという。米沢モンペに似たマタシャレを穿いた女が、今でも馬を追うて往来しておる。この光景に対して芭蕉曾良の句は皆写生的に活動しておる。


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